必ず 明日は 来るから・・・
このフレーズを
普通に こうしてここで
綴ることができましたことに
素直に喜びと 感謝の気持ちを表したいと。
「一生 一曲」
みなさまにも そう思って 心から大切にされている歌が
おありではないでしょうか。
たった一曲、というのではありません。
今まで生きてこられて その時々で置かれている状況で
耳から 心にスーッとしみこみ、しみわたり
涙すらながすほどに
一生を共にしたいと思うような 楽曲。
私が まだ 「東方神起」という5人グループをよく知らない時に
NHKのいわゆる 歌番組での特集で
この曲に強烈な印象を受けたのが 最初の記憶。
そして静かに記憶に沈み
再び出会ったときには
まちがいなく 「一生一曲」になっておりました。
その楽曲を どのような感性で 愛しているのか
本当に人それぞれ 様々で
私は
その楽曲に 命を吹き込むのは
誰の どんな心が動き どの声で なされるのか
とても とても
意味を持つと感じております。
また、歌は 「生きもの」であると 常々思っております。
ゆえに
生きているあらゆるものへの 影響力は
科学的にも証明されている部分があるかと思います。
あくまで 個人的な感覚と ご理解くださいませ。
「 明日は来るから 」
この曲が コンセプトの段階から
日本語ワードとして構成され
美しい旋律とともに
世に産声をあげたこと
作詞の小山内 舞 氏(音楽プロデューサーの松尾 潔 氏ですね)
作曲の妹尾 武 氏
感謝の思いを今でももっています。
その歌の命が 封印され
久しい時間が経ってしまいました。
命を吹き込んだ歌い手は 形を変え
第3者の 悲しい手も入ってしまったことで
それぞれの胸の中に しまい込まれることとなりました。
それゆえに
2011,3の日本が痛み切ったときに
メロディなき ワードのみであっても
その言葉を ソーシャルネットで載せてくれた深い思いにも
泣きました。
何とかして 日本の仲間を元気づけられないか
そんな気持ちがありがたく
(自分の無力感にも苛まれておりましたので)
本当の意味で「がんばろう、日本」を 歯を食いしばって
共有していかなければならないことへ、
背中をさすられ、具体的な気持ちを動かす勇気をいただきました。
『 どんなに闇の深い夜でも・・・ 』
待っているだけでは
誰かの力を期待するだけでは
そこに 自らの強い意志と 未来への希望と 負けない性根がなければ
簡単には夜の闇は 明けない可能性が高いことでしょう。
また、たった一人 孤独に耐えながら
こんなにも激しく吹きすさぶ嵐を伴う宵闇に
美しい朝日は 必ず差し込むからと 自己を鼓舞ししなやかに越していくことは
困難を極めたことでしょう・・・。
最も・・・ 辛い時期の一つであった頃の
ジュンスのツイを botのお陰で目にすることができました。
キム·ジュンス語録bot
@XIAsaid_jp (続き)うちのジェジュンひょんも…うちのユチョンも… もう少しがんばろう…もう少しだけ。 うちのメンバーたちはいつもとてもありがたく、愛してる~(twitter 2012.3.18)
いつものように…笑って乗り越えよう…^ ^ すべての人に愛されるつもり、それこそ難しいものもないじゃない… そうだとしても、それでも俺たち結構よく歩いてきただろう… そうだろ?(続く)
本当に約2週間すべてが嵐のように押し寄せて来て去った気分ですね…それだけ、より晴れの日が来るように神様、私たちにもそんな勇気をください…再び撮影入ったユチョンも…最近めっきり疲れているジェジュンひょんも…そして俺も... 俺たちがんばろう皆!(twitter 2012.3.18)
南米でのライブを終え、
ユチョンのお父様の訃報に触れ
自分のことよりも soulmateの悲しみを我が事以上のものとして
受け止めきれないほどに
深く沈んでしまったヒョン
自分を立て直さざるを得ない「仕事」がそこにあったユチョンと
チームJYJの今を支えなければとの思いを強くしたジュンスがそばにいたことで
本来の根っこの強さが息を吹き返し、それからの
ジェジュンの全身全霊の演技や ロックに昇華された歌のパワーは
周知のとおりでしょう。
『どんなに闇の深い夜でも・・』
" あめふるときには きみの傘になり "
" かぜふくときには きみの壁になり "
" 春に咲く花 夏の砂浜
秋の黄昏や 冬の陽だまり "
いくつもの季節の優しさや美しさを共にしながら
この出会いを奇跡として感謝し、
必ず 明日は来るから・・と
支え合ってきたことでしょう。
そこに 図らずも
私たちファンへの気持ちも込めてくださっていること…
2013年 4月
裁判の終結と共に 必ず実現してみせる、との
心意気を感じた Return to TOKYODOME Live
その記者会見での彼らの言葉
「JYJ“東京ドームコンサートの夢”を2度も叶えた…これからの夢は?」 (より抜粋)
Kstyle 2013年 4月5日
―これから日本での活動計画は?
ユチョン:今回の東京ドームコンサートが再び日本でスタートできるきっかけになればと思う。色々な法律上の問題を解決したとしても難点がないわけではない。これからもっとひどくなるとも思う。だが、これから止まらずずっと頑張るので次々と壁が登場しても当たり前だと思って乗り越えていきたい。日本での活動がうまくいってほしい。些細なことでも与えられることには感謝しながらやっていく考えだ。
―JYJの2013年の計画は?
ジュンス:今年の半ばまで続く僕らの活動は、おそらくJYJのアルバムがほとんどを占めると思う。昨年に続き、今この瞬間までずっと議論している。
―歌手にデビューするときの夢が東京ドームコンサートだった。2度もこの夢を叶えた。これからの夢は?
ユチョン:これまでよりたくさんのことを希望するわけではなく、時間がかかってもこの仕事をできるだけ長くやっていきたい気持ちがある。僕たちが本当に完全に潰れさえせず、ひたすら頑張れば、年をとっても仕事を続けられると思う。やりたいことは多いけれど、制約があるからできない部分に対しては残念な気持ちもあるが、与えられたことに感謝しながらやっていきたい。大事な人々とJYJとして長く活動することが目標だ。
―JYJとして活動してから4年も経った。振り返ってみた時、一番大変だったことと一番幸せだったことは?
ジュンス:大変だったことより幸せなことにもっと感謝しなきゃと気持ちを変えた。不幸だとは思わない。僕たちJYJが色々な番組に出演できずにいるということは、4年前も今も、ずっと厳しい。それが一日も早く改善されればと思う。いつになるかは分からないが、くじけずできるだけ頑張って行きたい。
ジェジュン:日本の東京ドームでJYJが再びコンサートを開催するという情報が出たため、日本でたくさんのファンが待ってくださっていることが分かった。これまで「かなり忘れられているのだろう」と思ったけれど、再びたくさんの方々と出会い、ファンの皆さんの信頼を確認できるようにしてくれたこと。本当に事務所の皆さんや代表に感謝している。
『言った通りになってないじゃない』
と 思うか
『計り知れない困難さの中でも、
今やるべきことを、絶対に実現したいこととを見据え
黙々と努力を続けている・・』
と 思うのか
彼らは 再三にわたり
自らの口と言葉で
「待っていてほしい」と
心を込めて伝えてくれました。
そして、できうる手立てを使い
本国での仕事を真摯に努めつつ
私たちに会える機会を作ってきてくれ
今に至っているではないですか。
そしてこの度
「一生一曲」の歌に 命を吹き込んでくれた
ジュンスに その思いを託して
私たちに 伝えたかったこと




きっと まだまだ
素人や部外者には わからない障壁や がんじがらめの悪網が
存在することでしょう。
その複雑怪奇な悪網にも ほつれはあり
冷静沈着に方略をたてつつ
この度の メドレーという作戦は成功したことは予測されます。
(もちろん、受け止め方は様々でしょう。
でも彼らは自己表現を歌という手段で行うアーティストです。
万人の思いを網羅し満たすことを目指すより、自己表現を大切にしてほしい、
その気持ちに寄り添えない、解り切れない、そんな気持ちになったのなら
ファンをやめればよいと、個人的には思っています・・)
今の彼らのアーティストとしてのパーソナリティを作ってきた、
過去の生い立ちや歴史、出来事 ありとあらゆる事象に感謝しつつ
『無駄なものはひとつとしてない』と 言わしめた 深い人間性を
リスペクトしつつ、これからも、小さいながらも
彼らに吹き付ける雨風を 少しでも防ぐことのできる
傘や壁に
心を潤す 四季折々の 花や 景色や 暖かさのある
「一ファン」としての あるべき姿を
背筋をしゃんと伸ばして
体現していきたいと思います。
共感してくださる方がおられれば、それはお互いにまた
『ひとりじゃない』という思いを支えに
人は強くなりますよね・・。
更に 輝く 明日の夜明けを共に目指して・・・・。
改めて
10周年を迎えた時の 彼らの言葉を。
"JAEJOONG YUCHUN JUNSU
12月26日
みんなと初めて出会った日 今日10周年…
ありがとう。そして、愛してます。
10年という歳月の間
幸せで嬉しかった記憶が
辛くて苦しかった記憶よりも遥かに多いのは、
いつも私たちの前で
大丈夫だよと微笑んでくれた皆さんがいたからです。
ジェジュン、ユチョン、ジュンス、
私たちにとって10年という歳月は、
百回、いや一万回ありがとうと言っても足りない
皆さんとの時間があったからこそ意味があります。
12月26日、私たちは初めてあなたに出会いました。"
必ず 明日は 来るから・・・・


(画像お借りいたしました)
このフレーズを
普通に こうしてここで
綴ることができましたことに
素直に喜びと 感謝の気持ちを表したいと。
「一生 一曲」
みなさまにも そう思って 心から大切にされている歌が
おありではないでしょうか。
たった一曲、というのではありません。
今まで生きてこられて その時々で置かれている状況で
耳から 心にスーッとしみこみ、しみわたり
涙すらながすほどに
一生を共にしたいと思うような 楽曲。
私が まだ 「東方神起」という5人グループをよく知らない時に
NHKのいわゆる 歌番組での特集で
この曲に強烈な印象を受けたのが 最初の記憶。
そして静かに記憶に沈み
再び出会ったときには
まちがいなく 「一生一曲」になっておりました。
その楽曲を どのような感性で 愛しているのか
本当に人それぞれ 様々で
私は
その楽曲に 命を吹き込むのは
誰の どんな心が動き どの声で なされるのか
とても とても
意味を持つと感じております。
また、歌は 「生きもの」であると 常々思っております。
ゆえに
生きているあらゆるものへの 影響力は
科学的にも証明されている部分があるかと思います。
あくまで 個人的な感覚と ご理解くださいませ。
「 明日は来るから 」
この曲が コンセプトの段階から
日本語ワードとして構成され
美しい旋律とともに
世に産声をあげたこと
作詞の小山内 舞 氏(音楽プロデューサーの松尾 潔 氏ですね)
作曲の妹尾 武 氏
感謝の思いを今でももっています。
その歌の命が 封印され
久しい時間が経ってしまいました。
命を吹き込んだ歌い手は 形を変え
第3者の 悲しい手も入ってしまったことで
それぞれの胸の中に しまい込まれることとなりました。
それゆえに
2011,3の日本が痛み切ったときに
メロディなき ワードのみであっても
その言葉を ソーシャルネットで載せてくれた深い思いにも
泣きました。
何とかして 日本の仲間を元気づけられないか
そんな気持ちがありがたく
(自分の無力感にも苛まれておりましたので)
本当の意味で「がんばろう、日本」を 歯を食いしばって
共有していかなければならないことへ、
背中をさすられ、具体的な気持ちを動かす勇気をいただきました。
『 どんなに闇の深い夜でも・・・ 』
待っているだけでは
誰かの力を期待するだけでは
そこに 自らの強い意志と 未来への希望と 負けない性根がなければ
簡単には夜の闇は 明けない可能性が高いことでしょう。
また、たった一人 孤独に耐えながら
こんなにも激しく吹きすさぶ嵐を伴う宵闇に
美しい朝日は 必ず差し込むからと 自己を鼓舞ししなやかに越していくことは
困難を極めたことでしょう・・・。
最も・・・ 辛い時期の一つであった頃の
ジュンスのツイを botのお陰で目にすることができました。
キム·ジュンス語録bot
@XIAsaid_jp (続き)うちのジェジュンひょんも…うちのユチョンも… もう少しがんばろう…もう少しだけ。 うちのメンバーたちはいつもとてもありがたく、愛してる~(twitter 2012.3.18)
いつものように…笑って乗り越えよう…^ ^ すべての人に愛されるつもり、それこそ難しいものもないじゃない… そうだとしても、それでも俺たち結構よく歩いてきただろう… そうだろ?(続く)
本当に約2週間すべてが嵐のように押し寄せて来て去った気分ですね…それだけ、より晴れの日が来るように神様、私たちにもそんな勇気をください…再び撮影入ったユチョンも…最近めっきり疲れているジェジュンひょんも…そして俺も... 俺たちがんばろう皆!(twitter 2012.3.18)
南米でのライブを終え、
ユチョンのお父様の訃報に触れ
自分のことよりも soulmateの悲しみを我が事以上のものとして
受け止めきれないほどに
深く沈んでしまったヒョン
自分を立て直さざるを得ない「仕事」がそこにあったユチョンと
チームJYJの今を支えなければとの思いを強くしたジュンスがそばにいたことで
本来の根っこの強さが息を吹き返し、それからの
ジェジュンの全身全霊の演技や ロックに昇華された歌のパワーは
周知のとおりでしょう。
『どんなに闇の深い夜でも・・』
" あめふるときには きみの傘になり "
" かぜふくときには きみの壁になり "
" 春に咲く花 夏の砂浜
秋の黄昏や 冬の陽だまり "
いくつもの季節の優しさや美しさを共にしながら
この出会いを奇跡として感謝し、
必ず 明日は来るから・・と
支え合ってきたことでしょう。
そこに 図らずも
私たちファンへの気持ちも込めてくださっていること…
2013年 4月
裁判の終結と共に 必ず実現してみせる、との
心意気を感じた Return to TOKYODOME Live
その記者会見での彼らの言葉
「JYJ“東京ドームコンサートの夢”を2度も叶えた…これからの夢は?」 (より抜粋)
Kstyle 2013年 4月5日
―これから日本での活動計画は?
ユチョン:今回の東京ドームコンサートが再び日本でスタートできるきっかけになればと思う。色々な法律上の問題を解決したとしても難点がないわけではない。これからもっとひどくなるとも思う。だが、これから止まらずずっと頑張るので次々と壁が登場しても当たり前だと思って乗り越えていきたい。日本での活動がうまくいってほしい。些細なことでも与えられることには感謝しながらやっていく考えだ。
―JYJの2013年の計画は?
ジュンス:今年の半ばまで続く僕らの活動は、おそらくJYJのアルバムがほとんどを占めると思う。昨年に続き、今この瞬間までずっと議論している。
―歌手にデビューするときの夢が東京ドームコンサートだった。2度もこの夢を叶えた。これからの夢は?
ユチョン:これまでよりたくさんのことを希望するわけではなく、時間がかかってもこの仕事をできるだけ長くやっていきたい気持ちがある。僕たちが本当に完全に潰れさえせず、ひたすら頑張れば、年をとっても仕事を続けられると思う。やりたいことは多いけれど、制約があるからできない部分に対しては残念な気持ちもあるが、与えられたことに感謝しながらやっていきたい。大事な人々とJYJとして長く活動することが目標だ。
―JYJとして活動してから4年も経った。振り返ってみた時、一番大変だったことと一番幸せだったことは?
ジュンス:大変だったことより幸せなことにもっと感謝しなきゃと気持ちを変えた。不幸だとは思わない。僕たちJYJが色々な番組に出演できずにいるということは、4年前も今も、ずっと厳しい。それが一日も早く改善されればと思う。いつになるかは分からないが、くじけずできるだけ頑張って行きたい。
ジェジュン:日本の東京ドームでJYJが再びコンサートを開催するという情報が出たため、日本でたくさんのファンが待ってくださっていることが分かった。これまで「かなり忘れられているのだろう」と思ったけれど、再びたくさんの方々と出会い、ファンの皆さんの信頼を確認できるようにしてくれたこと。本当に事務所の皆さんや代表に感謝している。
『言った通りになってないじゃない』
と 思うか
『計り知れない困難さの中でも、
今やるべきことを、絶対に実現したいこととを見据え
黙々と努力を続けている・・』
と 思うのか
彼らは 再三にわたり
自らの口と言葉で
「待っていてほしい」と
心を込めて伝えてくれました。
そして、できうる手立てを使い
本国での仕事を真摯に努めつつ
私たちに会える機会を作ってきてくれ
今に至っているではないですか。
そしてこの度
「一生一曲」の歌に 命を吹き込んでくれた
ジュンスに その思いを託して
私たちに 伝えたかったこと




きっと まだまだ
素人や部外者には わからない障壁や がんじがらめの悪網が
存在することでしょう。
その複雑怪奇な悪網にも ほつれはあり
冷静沈着に方略をたてつつ
この度の メドレーという作戦は成功したことは予測されます。
(もちろん、受け止め方は様々でしょう。
でも彼らは自己表現を歌という手段で行うアーティストです。
万人の思いを網羅し満たすことを目指すより、自己表現を大切にしてほしい、
その気持ちに寄り添えない、解り切れない、そんな気持ちになったのなら
ファンをやめればよいと、個人的には思っています・・)
今の彼らのアーティストとしてのパーソナリティを作ってきた、
過去の生い立ちや歴史、出来事 ありとあらゆる事象に感謝しつつ
『無駄なものはひとつとしてない』と 言わしめた 深い人間性を
リスペクトしつつ、これからも、小さいながらも
彼らに吹き付ける雨風を 少しでも防ぐことのできる
傘や壁に
心を潤す 四季折々の 花や 景色や 暖かさのある
「一ファン」としての あるべき姿を
背筋をしゃんと伸ばして
体現していきたいと思います。
共感してくださる方がおられれば、それはお互いにまた
『ひとりじゃない』という思いを支えに
人は強くなりますよね・・。
更に 輝く 明日の夜明けを共に目指して・・・・。
改めて
10周年を迎えた時の 彼らの言葉を。
"JAEJOONG YUCHUN JUNSU
12月26日
みんなと初めて出会った日 今日10周年…
ありがとう。そして、愛してます。
10年という歳月の間
幸せで嬉しかった記憶が
辛くて苦しかった記憶よりも遥かに多いのは、
いつも私たちの前で
大丈夫だよと微笑んでくれた皆さんがいたからです。
ジェジュン、ユチョン、ジュンス、
私たちにとって10年という歳月は、
百回、いや一万回ありがとうと言っても足りない
皆さんとの時間があったからこそ意味があります。
12月26日、私たちは初めてあなたに出会いました。"
必ず 明日は 来るから・・・・


(画像お借りいたしました)
