生来、大半の人間は・・・
心弱く、なまけもので
安きに流されやすく
自分がかわいくて
すぐにあきらめてしまう、ものです。
あ、当てはまらない皆さま、大変失礼なことを申し上げました。
かく申すわたくしが、
それに痛く該当するのです。
やらなければならないことが
順序立ててできなくて
ついつい億劫になって 後回し
ぎりぎりのところで火がついて
なんで早くやらなかったのかと、自分を責めて
いちいち自己嫌悪に陥る 面倒くさい自分に辟易・・・
折に触れて申しましたが、いい年をとっても
尚、自分の中の「リスク」と対峙すること。
『あ、今回も負けた・・・』
と、そんな悪循環に苛まれながらも
自分を見捨てるわけにはいかない
諦めるわけにはいかない
それは
社会における、人様からいただいた
信頼や
ありがたくも 働く場所をいただいた
責任を
大切につなぎ 果たさねばならないから。
溢れかえる 昨今の情報量
処しきれぬ 日々のやるべきこと
自分がどのような位置に どう立っているのか
セルフモニタリングができなくなって
混沌とした状況に陥っても
たとえ1ミリでも
「そもそも」とか
「基本的に」とか
「原則・・・」など
ふと 我に返る、というか
吹けば飛ぶようなものであっても
冷静に 自分を 少し離れてみるという力を
残していたいものです。
いったい
何を求めて
その 社会的な良識とか
基本的な「守秘義務を守る」とか
そんな 社会人として基本的にもっているべきものを
およそ感じられない人に
へばりつき
「よろしくおねがいします」だとか
「がんばってください」だとか
儚い願いを託すように
そこに近づくのでしょう。
最も私たちが大切におもっている(はずの)人から
「知らない人。怪しい人だから気を付けて」と
直接言葉をもらったのにも関わらず、です。
ご自分の顔を鏡で見ても
おそらく今は
『私たちが信じる人が、あなたを救ってくれるから待ってて!』などと
1ミリの不信感や不安感を 覆い隠すかのように
自分にささやくのではないかと・・・。
彼らは、私たちに守ってもらおうだとか
救ってもらおうだとか、思っていないと思います。
会えなくて、申し訳ない、もっと僕らは君たちを愛さなきゃならないのに
君たちの愛に報いらなきゃいけないのに できなくてすまない・・・
もっと会いに行けるように努力するよ・・・
逆に
私たちファンを 守るがごとき言葉ではないでしょうか。
そもそも・・・
2009年に表面化したこの局面。
そこに至るまでに
私たちが、華麗に歌い踊る若者たちに心を躍らせている間にも
苦悩はあったのです・・・。
JJの背中の音符に掘られた言葉
からだに刻み込むほどに
想像を絶するほどの 痛み苦しみを味わいつつ
私たちの前で、笑顔を絶やさず幸せな気持ちを届け続けたのです。
一週間の間に 日韓を飛行機で何往復もする
日本とアジアのツアーを 別プログラムでこなす
ギネスに載るほどの ファン数を誇りながらも
彼らの手にしたものは・・・。
「才能と、努力と、果たし残した結果に見合った報酬を手にする」
これは 世間一般の常識のはずです。
そもそも
そこが、「悪しき慣例」「既得権益の偏った享受」の
ねじまがったその業界での『常識』であることに
死ぬほどの覚悟を決めて 「NO!」をはっきりと意思表示をすることを決めたのでは
ないでしょうか。
それも、基本的人権の保障に基づいた、正当な方法で。
人として、相手を思う気持ちがあるのなら
「どうしてわたしたちの楽しみを奪うの?」と責めるよりも
「そんなことがまかり通っていたことがおかしい!しんどかっただろうな」と
思いを馳せ、
背中を向けて 逃げ出すのではなく
真っ向から 挑むことを彼らが決めたことに
気付いていくに従い
(初めはわかりませんでしたからね… なんで!?どうして??の迷路から抜けるのに
それなりの時間がかかりました・・・)
また、一つ一つ、少ないチャンスを大切にしながら
陰の努力を重ねつつ、
結果を出してきたその姿勢に
答えと手ごたえを感じながら
深く強い信頼感を結んできたのではないでしょうか?
あの頃は・・・
今よりももっともっと
辛かったはずです。
先の見えない不安感は
私たち以上に 彼らにもあって
身を寄せ合うように 3人と 少ない信頼おけるスタッフと共に
『大丈夫だ、やれることをやるのみだ』と
その「やれること」として打ち立てたことも
もろくも潰されて
でも、そうくるならこうしよう・・・
しなやかに 冷静沈着に
善後策を立て
さらにチャレンジしていく諦めない姿に
私たちは 「共に歩む」ことを
決めて今に至っているのではないでしょうか?
何で、「彼らをよろしくお願いします!」になるの?
どうして、「JJは苦しんでる、一人で日本に来る方がいい!」と思うのかしら。
・・・歌えないことを覚悟した人たちが
メディアに一切出ることができないかもしれないと
覚悟した人たちが
歌で
世界を回れたのですよ、
歌で
この日本に来てくれて
日本語の歌まで歌ってくれたのですよ
ドームリベンジ叶ったんですよ
アルバムだって
最新の分は遅れているかもしれませんが
出せたことが
あの時の状況からすると
まずは奇跡で
ソロアルバムも
ソロコンも
叶っているではないですか。
演劇界からも
最高の賛辞をいただくほどの
実績を残したではないですか。
足りないところを言えば
キリがありません。
人は手にすれば
もっと もっとと
求めるものです。
心弱きもの、人間ですから。
でも
そんな自分がどの位置に立っていて
どんな心情から どんな行動に出ようとしているのか
ふと 立ち止まって考える
1ミリの冷静さ を
なくさないでいてほしいものです。
人生を豊かにしてくれる
大好きな気持ちで明日を強く生きていける
そんなかけがえのない存在の人たちが
息長く 自由な心で 伸びやかに
表現してくれることのほうが
どれだけ 私たちも その幸せを分かち合うことができるのか
そのために
必要なこととは。
アーティストは
自分の才能を 時間と労力をかけて磨き
自己の表現したいことを 世の中に送り出します。
その心の表れに共感したものが
「ファン」として そこに心を寄せていき
愛情と尊敬を込めて、対価を払います。
そのアーティストの有り様に惚れたからこその
情動であり、行動のはずです。
自分の好みの枠にはめようと思った時点で
ファンをやめたらよろしいかと。
ため息のでるほどの
ジェジュンの美しき姿と共に
泣けるほど
「ああ、やはり、あなたは あなただった・・・」と
心から喜びを感じる言葉が
今日聞かれましたね。
キム・ジェジュン、「JYJのメンバーたち、存在するだけで力になる」
innolife.net
「JYJは3人が一緒だということ自体が全て」とし、「ただ存在するだけで力になる」と明らかにしてメンバーへの格別な思いを表わした。
「3人だけは 離れません」(ユチョン)
これからも この言葉たちのお陰で
決して 揺らぐことなく。
どうか
今一度 立ち位置を
周囲の状況を
見直していただきたい方々が・・・。
(置きますね・・)
JJのアルバムが本当に待ち遠しいです。
TAKUROさんとのコラボの意味を
かみしめるように
思いを馳せています・・・。
人が人をつなぐ
まさに・・・

(画像をお借りしました)
