6月
水無月
「みなづき」とは、『みずのないつき』ではなく
『水の月』とのこと
『無』は、古文的に ここでは『の』という意味だと。
我が家も、田植え真っ盛り。
おじいちゃんと おとうさんで
雨に濡れながら 一生懸命に
日本人としての 一つの「役目」を果たしているようで。
あ・・・ わたし? ハウスキーパーとワーキングウーマンで
いっぱいいっぱい・・・^^;
人間にとってなくてはならない 水
そんな 「水」という名のついた 月である6月
6月は
私にとってなにかと 印象深い月でもあります。
自分と
夫と
そして パク・ユチョンという人が
命のバトンを握って
この世を歩み始めた ということ。
たかが 誕生月・・・ と
もう少し若いころは あまり気にすることは 実はなかったのですが
何億万分の一の確率で 一つの命が種となり
人となり 育ち 出会い
その人の道を歩むのに
あたたかで 静かで 強い
支えとなる この奇跡を思うに
「生まれる」 「出会う」 という宝を
同じ月に 『生まれてきてくれてありがとう・・・』という
言葉を共有できることに
なんとも感慨深いものを感じるようになりました。
他を眺めてみても あまりに印象的な
2年前の「国技館ライブ」
行けなかったけれど
祈るように 仕事とせめぎあいながら
一日を過ごした あの日の一日を 忘れることはできません。
そして 今年も
これも行けないけれど
ジェジュン氏が
アジアツアーの 「グランドフィナーレ」の地に
日本を選んだこと。
この方たちが 動機はどうであれ
かの国の 芸能人としてビッグになっていくために
通らねばならないことを求められる確率の高い
「イルボン」へ向けての努力と辛抱の中で
紡いできた 人と人とのあたたかなつながりが
1つ また1つと
確かな形になっている・・・ いや
形にしてくれている、
そう思えてなりません。
・・・ ユチョンも
折に触れて はっきりと自分の言葉で
私たちに伝えてくれます。
「もっと日本で活動できるようにしたい」と。
そうそう。
今日は 愛するユチョンのために
書くことにしたのでした・・。
・・・正直、1年のうちで もっとも多忙な時期と職場で対峙しており
呪文のように 『倒れたら負け・・・』とつぶやきながら
泥のように眠っては 朝またどうやら取り戻したカラ元気とともに
出かける日々。
そんなことを続けていてはダメになる・・・
だから
隙間の時間に 眺める彼は
確実に 力をくれました。






本当に 本当に …
素晴らしい作品です。
彼の 25歳の仕事です。
もちろん、シノプシスを書いたライターさんの深い思いや
作品に賭ける 監督さんの情熱や
共演者の皆さまの プロ意識が
寄り添うように 折り重なって
この作品は築き上げられたことでしょう。
でも
座長としての 魅力や謙虚さや その存在感のすべてが
相乗効果的にパワーを引き出し、
作品に命を吹き込んで行ったことは
内外の評価で 推して知るべしですね。
25歳から26歳へと 移ろう時期
身を切られるような出来事もあり……
思えば
彼の存在が 深く心に刻まれ始めたのが
2009年…
彼が22歳の時です。
素敵な出で立ちや 佇まいは言わずもがなですが
年齢を聞いて 正直驚いたのを 鮮明に覚えています。
成熟している……
あのチーム全体に言えることでしたが
いったい何が それを作って来たのだろう…
とても興味が湧きました。
語られて来たことが全てとは思いません。
人様の人生です。
それでも
足し算 引き算 しても
その各方面から紡がれる事実を冷静に垣間見させていただいても
成熟せざるを得なかった 数々の経験……
それでも 彼は とても正直に
熱き思いをクールな微笑で覆いつつも
とても 泣き虫さんでした…

さらに 月日は流れ
いつの頃からか
彼は 簡単に 泣かない人になりました。
泣けないのかな? と
思った時期もありましたが
いや きっと
泣かないのだ、と
あくまで個人的な感覚ではありますが
そのように思うようになりました。
韓国人という 意識もあるのでしょうか。
ひょっとしたら
お父様のご病気が徐々に進行されていったのと
比例しているのかもしれません。
そして、次々に立ち向かわねばならない
厳しい状況…。
それこそ、 「泣いたら負け」とまで
思っていたのかな…。
年をとっていきますからね、そうそう少年のような
可愛らしさとか、 表面上の華やかさとかから
いつ何時、転換期がおとずれるか、本人のみぞ知る、ですが
過去の
しなやかで、 ちょっと陰があって
それとのギャップがたまらない 彼も 胸がぎゅーーーっとするほど
好きですが


硬派な構えをもち、豊かな包容力を感じさせ


なのに
ジェジュンヒョンや ジュンスの前では
一気に無防備な 破顔一笑を惜しげもなく見せる

今の ユチョン氏に
惹かれて 焦がれて
やみません……。
そういえば
こちらも いつの頃からか
「ピアスをしなくなったね…」 と
お友達のりーちゃんと 話したことがあります。

何か 心の中に
ターニングポイントがあったのか なかったのか
確かめる術は ありませんが。
素顔のままの 自分・・・
飾り気のない 自分・・・
そうありたいと思っての
坊主頭だったりするのかな・・?
ただ言えることは
人それぞれ 愛し方は様々ではありますが
それぞれの 人生を 豊かなものにしていることだけは
確かなこと。
そして、
一ファンとしての 自分の信念は
彼の生き方を尊重し、 彼の生み出す作品を愛し、
彼の、 彼等が存在することを 心から幸せだと思うこと
です。
それ以上もそれ以下もありません。
유천, 생일 축하합니다.
행복한 28세를 보내 주십시오.
ありがとう
愛してる
ずっと 愛してる
生まれて来てくれてありがとう。。。
そして
あなたの歌が聴きたい。
今、切に願うこと。
大好きな動画を お借りしました・・・・
困難さえも 糧にして
美しくも 骨太な
20代を 生きている彼を
心から尊敬し、愛しています。
どうか これからも笑顔で・・・。
水無月
「みなづき」とは、『みずのないつき』ではなく
『水の月』とのこと
『無』は、古文的に ここでは『の』という意味だと。
我が家も、田植え真っ盛り。
おじいちゃんと おとうさんで
雨に濡れながら 一生懸命に
日本人としての 一つの「役目」を果たしているようで。
あ・・・ わたし? ハウスキーパーとワーキングウーマンで
いっぱいいっぱい・・・^^;
人間にとってなくてはならない 水
そんな 「水」という名のついた 月である6月
6月は
私にとってなにかと 印象深い月でもあります。
自分と
夫と
そして パク・ユチョンという人が
命のバトンを握って
この世を歩み始めた ということ。
たかが 誕生月・・・ と
もう少し若いころは あまり気にすることは 実はなかったのですが
何億万分の一の確率で 一つの命が種となり
人となり 育ち 出会い
その人の道を歩むのに
あたたかで 静かで 強い
支えとなる この奇跡を思うに
「生まれる」 「出会う」 という宝を
同じ月に 『生まれてきてくれてありがとう・・・』という
言葉を共有できることに
なんとも感慨深いものを感じるようになりました。
他を眺めてみても あまりに印象的な
2年前の「国技館ライブ」
行けなかったけれど
祈るように 仕事とせめぎあいながら
一日を過ごした あの日の一日を 忘れることはできません。
そして 今年も
これも行けないけれど
ジェジュン氏が
アジアツアーの 「グランドフィナーレ」の地に
日本を選んだこと。
この方たちが 動機はどうであれ
かの国の 芸能人としてビッグになっていくために
通らねばならないことを求められる確率の高い
「イルボン」へ向けての努力と辛抱の中で
紡いできた 人と人とのあたたかなつながりが
1つ また1つと
確かな形になっている・・・ いや
形にしてくれている、
そう思えてなりません。
・・・ ユチョンも
折に触れて はっきりと自分の言葉で
私たちに伝えてくれます。
「もっと日本で活動できるようにしたい」と。
そうそう。
今日は 愛するユチョンのために
書くことにしたのでした・・。
・・・正直、1年のうちで もっとも多忙な時期と職場で対峙しており
呪文のように 『倒れたら負け・・・』とつぶやきながら
泥のように眠っては 朝またどうやら取り戻したカラ元気とともに
出かける日々。
そんなことを続けていてはダメになる・・・
だから
隙間の時間に 眺める彼は
確実に 力をくれました。






本当に 本当に …
素晴らしい作品です。
彼の 25歳の仕事です。
もちろん、シノプシスを書いたライターさんの深い思いや
作品に賭ける 監督さんの情熱や
共演者の皆さまの プロ意識が
寄り添うように 折り重なって
この作品は築き上げられたことでしょう。
でも
座長としての 魅力や謙虚さや その存在感のすべてが
相乗効果的にパワーを引き出し、
作品に命を吹き込んで行ったことは
内外の評価で 推して知るべしですね。
25歳から26歳へと 移ろう時期
身を切られるような出来事もあり……
思えば
彼の存在が 深く心に刻まれ始めたのが
2009年…
彼が22歳の時です。
素敵な出で立ちや 佇まいは言わずもがなですが
年齢を聞いて 正直驚いたのを 鮮明に覚えています。
成熟している……
あのチーム全体に言えることでしたが
いったい何が それを作って来たのだろう…
とても興味が湧きました。
語られて来たことが全てとは思いません。
人様の人生です。
それでも
足し算 引き算 しても
その各方面から紡がれる事実を冷静に垣間見させていただいても
成熟せざるを得なかった 数々の経験……
それでも 彼は とても正直に
熱き思いをクールな微笑で覆いつつも
とても 泣き虫さんでした…

さらに 月日は流れ
いつの頃からか
彼は 簡単に 泣かない人になりました。
泣けないのかな? と
思った時期もありましたが
いや きっと
泣かないのだ、と
あくまで個人的な感覚ではありますが
そのように思うようになりました。
韓国人という 意識もあるのでしょうか。
ひょっとしたら
お父様のご病気が徐々に進行されていったのと
比例しているのかもしれません。
そして、次々に立ち向かわねばならない
厳しい状況…。
それこそ、 「泣いたら負け」とまで
思っていたのかな…。
年をとっていきますからね、そうそう少年のような
可愛らしさとか、 表面上の華やかさとかから
いつ何時、転換期がおとずれるか、本人のみぞ知る、ですが
過去の
しなやかで、 ちょっと陰があって
それとのギャップがたまらない 彼も 胸がぎゅーーーっとするほど
好きですが


硬派な構えをもち、豊かな包容力を感じさせ


なのに
ジェジュンヒョンや ジュンスの前では
一気に無防備な 破顔一笑を惜しげもなく見せる

今の ユチョン氏に
惹かれて 焦がれて
やみません……。
そういえば
こちらも いつの頃からか
「ピアスをしなくなったね…」 と
お友達のりーちゃんと 話したことがあります。

何か 心の中に
ターニングポイントがあったのか なかったのか
確かめる術は ありませんが。
素顔のままの 自分・・・
飾り気のない 自分・・・
そうありたいと思っての
坊主頭だったりするのかな・・?
ただ言えることは
人それぞれ 愛し方は様々ではありますが
それぞれの 人生を 豊かなものにしていることだけは
確かなこと。
そして、
一ファンとしての 自分の信念は
彼の生き方を尊重し、 彼の生み出す作品を愛し、
彼の、 彼等が存在することを 心から幸せだと思うこと
です。
それ以上もそれ以下もありません。
유천, 생일 축하합니다.
행복한 28세를 보내 주십시오.
ありがとう
愛してる
ずっと 愛してる
生まれて来てくれてありがとう。。。
そして
あなたの歌が聴きたい。
今、切に願うこと。
大好きな動画を お借りしました・・・・
困難さえも 糧にして
美しくも 骨太な
20代を 生きている彼を
心から尊敬し、愛しています。
どうか これからも笑顔で・・・。
