人と共に、共存し生きる
短い期間の間、場を共にし
時を共鳴した仲間達と‥、
作品を創る‥。
演ずる側、作品をやりこなして行く側に対して‥、
苦楽苦難の道は数多い、
しかし‥、
その作品が形を‥
表現するに連れて、生きているものか、死んでいるものかが、
解るときがある‥。

その解るときの一つとして‥、
演ずる側が共鳴していた仲間達の事を、言葉に挙げた時である‥。

そして、その言葉を拝読した
之から作品観る側の心には、
どう響き‥?
どう感ずる‥?

演ずる側が、共鳴していた仲間達の事を非を挙げたとしたら、
その作品は、死んでいる作品であり、之から観に行く側にとっては、魅力の感じないものに成る。

または、演ずる側が共鳴していた仲間達の事を、喜として挙げたとしたら、その作品は‥、
生きている作品であり、之から観に行く側にとっては、魅力を感じ、脚を運びたい作品である。

なう、ツイター等で‥、
作品に対して、
演ずる側の仲間達に対して、
何を言っても構わない‥。
だが、
この御時世には、
とても怖いものを感ずるが‥、

之から作品を、
観に行く側の方々が‥、
演ずる側の仲間達に対しての
非のメッセージを拝読してしまった後に、行われている作品を観に行くとしたら‥、
観に行く気力も失い‥、

色々と考えると同時に、
文明の力の虚しさを感じ取る。


‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

今回書く?書かない?は、迷いました‥。

でも、前にモバゲーをやっていた時に、観る側、演ずる側等と交えて、役者、演劇等に対しての事を意見交換をしました。

その事を久しぶりに思い出した事と‥、久しぶりにちょっと、
拝読をして感じ取った事が、
なうのとある役者さんの所に、記載をされていたので、

詩の長文に変えて‥
自分の意見を、
書かさせて頂きました‥。

逸れに、私の場合は都心に住んでいるのではなく、地方に住んでいるから‥、
復路だけでも時間と金が掛かります‥。


今回は私用の為、作品を観には行けなく成りましたが‥、


なうでこのような文章を拝読してから、作品を観に行って至ら、何し私は、遠くまで来て‥、この作品を観に来ているのだろうか?‥と虚しさを感じ取って
いたんだろうな?と感じます。