oddな印象 | ミツバチ生活への道~英会話・音楽ライブ・映画~

oddな印象

ケンの話をします。

初級第一課のレッスンを受けていた私に、「こんなレベルで楽しい?」と聞きました。「楽しくはないけど・・・、レベルチェックのとき聞き取れなかったし・・・」と口ごもる私に、「不満があるなら、抗議しなさい!」


結局、彼が学校側に交渉してくれて、第六課に特進しました。と言っても、現在完了のあたりでしたが。

そんなこともあって、私がケンを気に入ってるのを察知されたのか、それとも単にローテーションの都合なのか、その後、彼のレッスンを受けることが多くなりました。


彼は、2歳のとき両親が離婚して、日本人の母親は日本に帰ってしまい、アメリカ人の父親に育てられました。20歳で京都に来て、以来ずっと日本で暮らしていました。再会した母親も5年前に癌で亡くなってしまい、私が習っていた当時は、福岡に引っ越してきたばかりで、一人暮らしをしていました。


一方、私はと言えば、2年前に夫を癌で亡くし、6歳の娘と9歳の息子と一緒に両親と暮らしていました。

そんな寂しい二人にロマンスでも芽生えれば、私もここで自慢できるのですが、実際は人生相談をするだけの地味な関係でした(笑)。


その頃の私に夫、主人、旦那様、父親はNGワードでした。うっかり口にしてしまうと、その後24時間は落ち込んでいました。

ましてや「子供たちを一人で育てていく自信がない」とか「夫が癌と宣告されたとき、一緒に死にたかった。子供を道ずれにするわけにもいかず、ぐずぐずしていたら告知どおり三ヶ月で亡くなってしまった。子供たちのせいで、今は仕方なく生きている」なんてことは、意識にのぼらせることも出来ませんでした。


ところが、英会話は不思議なものです。

英語で受け答えするのに精一杯で、建前を取り繕う余裕も無く、感情のままを言葉にしていました。

しかも、相手のケンは2歳で片親と離別し、大切な人を癌で亡くしていたので、私には最適なセラピストでした。


「父親の役をしようとしないで。最高の母親がいれば、それで十分さ。父がエプロンをして、僕のためにクッキーを焼くのを見るのはつらかったよ」

この言葉は、今でも私の子育ての指針です。


ケンとは本の話もよくしました。

アメリカのカレッジで日本文学を専攻していた彼は、日本の作家にも造詣が深かったです。安部公房や村上春樹がやはり人気だそうです。

「新しい人も読みたいな。誰か推薦してくれないかい?」そうたずねる彼に「伊集院静!」を連呼していました。

『機関車先生』の作者と言えば、今ではすぐにわかるでしょうが、あの頃は、白血病で亡くなった夏目雅子の旦那様と説明したほうが、とおりがよかったです。


映画の話をした時のことです。ふと、聞いてみました。「18年も日本にいるから、日本語は不自由なく話せて、映画を見たりもするんでしょ?」考えたら、ケンと日本語で話したことはありません。

すると「それが、日本語を話すのは嫌だから、あまり出来ないんだ。映画も途中でついていけなくなる」と、意外な答えでした。


「えーっ、どうして!?」と驚く私に、「だって、下手な日本語を話すと、oddな印象を与えてしまうからね」

odd(変わった、異常な、奇妙な≪strangeより突飛さを強調≫)ですって!

確かに外国人が片言の日本語を話すと、滑稽な印象を与えます。

では、英語が下手な私もodd? 愛する人を亡くした悲しみの物語も、熱く戦わせた文学論もoddな女のoddな話? そう問い詰めようとしたとき、レッスン終了のチャイムが鳴りました。


「Next time(またねっ)」爽やかな笑顔でそう言いながら、ケンは教室を後にしました。

それ以来、彼とは会っていません。oddな生徒たちの、oddな英語を聞くのが嫌になって学校を辞めてしまったのか、はたまた、ローテーションの関係なのかわかりません。


お陰で私は、それからずっとoddの呪縛に取り付かれ、馬鹿にされない発音をすることに心血を注ぎ続けました。

oddの呪縛がとけたのは、後にカナダで出会ったロバートから「話し方がcute(可愛)」と言われた時です。

Thank you,Robert!