流産しました。


もう妊娠なんて考えてなかったから、忘れていました。


私の体は出産には耐えられないし妊娠は薬の力を借りなければ継続できない。


あなたの体は、妊娠を継続するホルモンがきちんとでない

HCGの注射を適切な時期にしないと、ある程度まで育っても、流産してしまう


そんなことを不妊治療をした病院で、最後に言われたことすら忘れていました。

もう4年も経っていたから。


言い訳なんかしても赤ちゃんは戻ってこない


障害があるから、周りは出産に反対していた


妊娠したことを告げたら、保健師も、保育園も実母や夫すらも迷惑そうな反応だった


私は堕すしかないと思った


でも産みたかった


産もうとした


でも、赤ちゃんは去ってしまった



夫はなぜ避妊に協力してくれなかったのだろう


私がアレルギーがあってゴムは使えないし


第一子出産の手術の後遺症で、ミレーナなどは使えない


ピルは、飲む度に血栓症になり、ついに使用禁止に


夫には3年間ずっと避妊手術を頼み続けていました


最初は、手術が怖い


次は、手術する病院を自分で探したい


手術の予約をしたいが金が足りない


金はあるが、日取りが合わない


日取りは合ったが、時間が経って金を使ってしまった また金が足りない


私:もういい加減にして!お金はなんとかするから予約するならして

コウノドリの漫画の未成年妊娠編を見せて、私はこうなりたくない!と主張


夫: わかった


この1週間後、つわりで妊娠発覚



産まない決断をするのも、産む決断をするのも、妊娠中のつわりも、流産の事実も


どれも辛いものだった


夫が避妊をしてくれていたらと・・・


私が拒めていればと


そんなことばかり堂々めぐり


流産したのは、5/28


今は、6/24


やっと子供の顔が見れるようになってきた


子どもの笑顔、笑い声を向けられると苦しくて仕方なかった


付き合いで行った料理教室の内容が卵料理で


ボウルに入れられた卵の黄身を


揺すりながら見せられて説明されるのが


とても辛かった


見たくなかった


私が産んだ胎嚢によく似てたから



赤ちゃんは優しく 良い子だった


出血は、突然で、布団の中で明方に突然


大量に股間から噴き出た


一瞬で下着が血で染まりズボンまで染み込んでいた


慌てて飛び起きて赤くなった股間を見て


焦って泣きながらトイレに行った


妊娠がわかった次の週には、切迫流産と診断された


それを伝えても第二子妊娠に前向きでない夫は


第一子の保育園の送り迎えや子守りを手伝ってはくれなかった


そうこうしているうちに、ピンクのオリモノが


出た


怖くなって、布団から出ないと誓った


やっと夫が送り迎えをしてくれるようになったのは、流産の3日前だった


障害があるから受け入れてくれる病院が少なかった


このままだと前回の医療事故に遭った病院になってしまう


怖いから産婦人科に頼み込みに行った


この産院で産んで良いかどうかの

回答を引き伸ばされて

結局、遠回しに断られた


家から高速で1時間半の病院に

夫と頼みに行った

やっと安心して産める産院が見つかった


その1週間後に、その産院で




繫留流産の宣告をされた



もしかしたら、赤ちゃんが出てきてしまうかも


出てこなかったら来週、手術します



そんな話を聞いた翌日だった



トイレに辿り着くと、ドバドバ血が出た


レバーみたいなものもいっぱい出た


その中に赤ちゃんが居るかもと思うと胸が


苦しかった


途中で、ボタボタ血を流したまま


廊下をウロウロしてナプキンを探した


ナプキンをあてて、再び、トイレで


まだ何か出そうだったものを出した


漏れそうなのを我慢する感じだったから


ナプキンのままトイレに座ったらすぐ出た


ぽこんという感じで



だけど、そのあとはいくら踏ん張っても


何も出なかった



他のレバー状のものよりも大きい感じがして


産んだものを綺麗に洗ってみた


卵の形だった


卵に太い紐がついたような形をしていた


中に黒い目のようなものがチョンと見えた


あれが赤ちゃんの目だったのかもしれない


途中まで育っていたのに



出てきてしまった




12週未満の初期流産のほとんどが、赤ちゃんの染色体異常によるものだと言われる


でも、私の場合は違う


赤ちゃんが正常でも、私の妊娠中のホルモンが


出ないのが流産の原因だから



私のせいだよ



私がもっと早く思い出していれば



追加のホルモン摂取が必要なことを


医師に言えていたら




もっと早く産む決断をしていたら






後悔してもしきれない



でも、赤ちゃんは、私の心の準備ができるまで


出てこないでお腹の中で待っていてくれた


赤ちゃんが成長しなくなって


心拍も見えなくなって


2週間近く経っていた


お腹から出てくるときも、ナプキンを探す間



待っていてくれた




すごく親孝行な子だったのだと思う




流産したことを病院に伝えたら


出てきた子宮内容物は、残っていますか?


と聞かれ、手元にあることを伝えると


持ってきてくださいと言われた



持っていかなければよかった



診察のときに、内容物を見せてくださいと言われ


あとで返してもらえますか?と


容器ごと渡すと



あ、はい。返します。


と、言われたので渡した


あとで夫と赤ちゃんを埋葬したかったのだ



でも、診察が終わり


完全流産の診断がおりたあと


医師が、私が持ってきた胎嚢を見て一言


それ、検査。


と、つぶやいた


すると、看護師さんが




わかりました


と。



こちらに近寄ってきて


シャルさん、こちらのシキュウナイヨウブツは


異常がないかどうか検査に出しますので


こちらで引き取ります



と。



え、さっき返してもらえるって・・・


と、言いかけたところで


ああ、こちらですね。お返しします


と、渡されたのは




プラスチック容器だけだった




中身は、赤ちゃんは





返してもらえなかった







検査はしなくていいから胎嚢を返してもらえないか?と頼んでみたけど


必要な検査だから。稀に異常があるから?


と、返してはもらえなかった




持って行かれてしまった



あまりしつこくいうと、看護師さんを困らせてしまうだろうから



それ以上は言えず、コロナで付き添いもできない


産婦人科の待合スペースで



一人で涙をこらえた



でも、涙が滲み出てきて


頭が混乱した





本当に辛かった






辛いとか簡単な感情ではなかった


赤ちゃんを失った悲しみ


赤ちゃんを埋葬でなきなかった悔しさ


自分や夫への怒りや、環境への怒り、不満


病気への偏見への怒り



色々な感情が頭の中でごちゃごちゃに


せめぎ合っていた








流産したのだ




赤ちゃんは、手術することもなく


すべて出てきてくれた



私にさよならするように


姿も見せてくれた




検査でどんなひどいことをされたか


想像もつかないけど



その検査も受けてくれて



赤ちゃんは私に ガンなどの異物ではなかった


問題はなかったと


体をはって教えてくれた






そう思えるようになったのも、最近。



水子供養にも行った



夫も、PTSDみたいになって仕事でミスを連発して、仕事してるようでできていなかった


仕事してるフリをするので精一杯の状態だったそうだ



夫は、妊娠がわかって、私に責め立てられ


自分のしたことのおおきさをやっと自覚したのか


すぐに避妊手術を受けた




術後、痛そうにしていたが、私は


寄り添ってあげたいとは


思えなかった



可哀想だとか ありがとうだとか


そういう気持ちにはなれなかった


何でもっと早く・・・って気持ちばかり


出てきてしまった





医師に言わせれば


あおり運転するような人たちは


何かしらの精神疾患であることは間違いない


んだそうだ


でも、あおり運転するような人は


病気の自覚もないし本人はそれで困ってないから


精神疾患と診断されることは、ほぼない


診断されていないけど精神疾患なのは


間違いのない人たちが、妊娠して出産して


子育てしていても誰も文句は言わない



でも、真面目に精神疾患に悩んで


家族や周りの人に迷惑かけたくないと


治療を希望して病院に通い


うつ病と診断を受けるような私たちは


妊娠しただけで周りから責められる


なぜ障害がわかっているのに妊娠したのか


なぜ避妊しないのか


産んだら子どもが可哀想


子どもが作れない体なのは、あなたがお母さんになる資格がないからなんじゃない?


迷惑だとわかっているのになぜ産むのか



そんな世界が辛かった


だからと言って、すぐに病気が治るわけではない


うつ病以外にも色々併発している


どうしようもない心と体だ




私は、自殺したいと思う


今は、第一子がいるから


なんとか生きてるけど


いなかったらきっと死んでいたと思う





私のピックシスコ


生まれてきてくれてありがとう





私がお母さんでごめんなさい。


次は違うおうちに生まれてね。