母が他界し、ちょうど一年が経ちました。

去年はほんと、ほんと色んなことがありすぎて・・・

そんな中の子育て。

ぽっかりと空虚な時を過ごしたこともありました。

(ゆっちゃんのことを 一緒にいじりたかったなぁ~。)

でもでも、旦那さんと、ゆっちゃんがいてくれたおかげで

また、いろんな人との出会いがあり、日々過ごせていたと思います。


母は母であったのか?

この歳までずっと胸の中で考えていたことでした。

最後にに交わした言葉は
「遠回りした人生だったかもしれないけど お母さんは見ていたよ」

色んな母親像がある中、私の母は母親らしくはなかったかもしれないけど

母は母として、子である私を見守ってくれていたことを 最後の最後で知りました。

先日のお母さんの勉強会で
~親が腹をくくり、受け入れることで見えてくる気づき~

とありましたが、ずいぶんと長い間腹をくくらせていたようです。

癌との闘病に「痛い」とも「辛い」とも自ら口にすることのなかった母は

自分で自分の限界まで静かに病床で臥せていました。

これからの私は、死を受け止め、現実に生きる。死を覚悟できるくらいの強い心、悔いを残さない日々、

すでに一つ後悔していることがあるが・・。
【親は十人の子をば養えども、子は一人の母を養うことなし】


旦那さんのため、子供のために暮らしていくことが大事だなと思った 法要でした。

それにしても、今日は涼しいかと思ったけど熱いくらい。母の葬儀の時もかんかん照り。
晴子だけあって、晴れ女ぶりを見せつけられたかも。