12月の第一日曜日は毎年、国立競技場で明治大学対早稲田大学の大学ラグビーを観戦している。


僕が入学した2000年から明治は8年連続で早稲田に敗北し続けている。


そして、その後に繰り広げられる酒の席で僕は同じような過ちを積み重ね続けている。



携帯紛失、財布紛失、気付いたら高尾(タクシーで四万円の出費)、気付いたら小田原(タクシーで1万5千円の出費)。そして今年、携帯紛失。



「失ったものが携帯だけで済んでよかった」と思えるほど、狂ったように騒いだので、甘んじて受け入れるしかない。


(今回の携帯紛失について、方々からお叱りの声を受けています。反省しています)

それがちょうど一週間前の日曜日で、一昨日の金曜、会社の忘年会で致死量を飲まされ、他殺体のままタクシーに遺棄され、気付いたらスーツのまま布団の上(これは初体験)。そして、遅刻。という社会人として最悪なことをやってのけ、さらに昨日の夜は以前のお店の従業員のおばさまたちと2時まで、ぐびぐび。



先月中旬の4連続オールから今週に至る流れの中で感じることは、「なんだ、楽しいじゃねーか」ということ。



当時大学生だった僕は社会人になるということは、とりわけうちのような会社に入社するということは死地に赴くといったような、決死行だと捉えていた。



ところが入社して三年が経とうとする今、僕は飲み続け、騒ぎ続け、笑い続けている。


仕事は大変だけど、時折みんなと飲んで騒いで笑って、こうやって日々を過ごしていくのもまあいいじゃないか。



と、思う。



でも逆に、飲めば飲むほど、騒げば騒ぐほど、「それだけでは満たされ得ない、ひっかかっている何か」がより明確な形として浮かび上がり、忍び寄っている気もする。





当たり前だけど「このままでいい」と感じたら、全部このままだし、それって決定的。






でもとりあえず、ブッキングだらけの年末を乗り越えなきゃ。







光陰、矢の如し。