戦前の国会議員で、京都府出身の科学者です。
この方、実は、性教育の先駆者なんです。
子供の頃から身体が弱くて、中学(今でいう高校)を中退するほどだったようです。
その後、カナダに行って、園芸の勉強をしたと言われています。
当時、海外に行くって、なかなかできなかったんじゃないでしょうか?
ご両親がお金持ちだったんでしょうね。
普通に、21歳で東大を卒業している所を見ると、頭も良かったのだと思います。
京都大学の医学部で講師として勤め、性教育の啓発運動をされたとか・・・
当時の農村では、富国強兵もあって、産めよ増やせよという中、女性が身体の面でも、経済的な面でも非常につらい立場にあったことが、この運動を始めたきっかけらしいです。
日本で初めて科学的な性教育の必要性を説き実践された方だと思います。
その後衆議院選挙で当選をし、労農党の代議士として活動を始めました。
そして、議会で、治安維持法反対の発言をする予定だった前の日に、殺されてしまいました。
その2年後には満州事変が起こり、日本は、第二次世界大戦と言われている戦争に突入していくのでした。
そんな山宣の碑が、別所温泉にあります。
今日は碑前祭でした。
ここ2年は、コロナの影響もあり、役員だけでの碑前祭だったそうです。
何故、ここに山宣の碑があるのかというと・・・
殺される4日前に、上田市に講演にいらっしゃっていたんだそうです。
当時、交通手段もない頃に、1000人の人が集まったというから驚きです。
上小農民連の大会での講演だったそうです。
きっとお話の上手な方だったんでしょう。
皆さんがとても感銘を受けて大成功に終わった講演でしたが、その直後に、殺されてしまった。
そこで、1年以内に碑を立てよう!と農民連の方たちが頑張って、官憲が見張る中で、山宣の碑を建立したそうです。
その4年後には、この碑の破壊命令が出ました。
戦争状態の日本にとって、良くないと判断されたのでしょうか?(戦争にあくまで反対していた方ですから)
それを、別所の旅館のご主人が、自宅の庭の池の石として、隠し持っていたんだそうです。
戦後だいぶ経ってから、そのことがわかりました。
旅館のご主人が、この碑を元に戻してほしいという申し出があって、それからだいぶ経ってから、やっとこの碑は元に(場所は違いますが)戻りました。
この碑に書いてある言葉は、ラテン語で、「人生は短く、科学は長い。」と書かれています。
元の出典は、ヒポクラテスの「人生は短く、芸術は長い」という言葉のようです。
科学者であった山本宣治は、芸術を科学と書き換えていたようですね。
そんな色々なドラマを含んで、こちらでは、この碑を大切にしております。
私も別所温泉に行くと必ず立ち寄ります。
先人から学ぶことも多いですものね。
こんな眺めのいいところに立っています。
ちょうど、安楽寺から常楽寺に行く遊歩道の途中にあるので、立ち寄ります。
30分ほどの碑前祭を終えて、
北向観音様に。
母が存命な頃には、毎年従妹とこの道を歩きました。
今、ちょっと彼女も体を壊していて・・・
心配なのですが、なかなか会いにも行けません。
北向様にお願いに行ってきました。
本当に、いつもたくさんの面白いことが起きる場所だったんですよ。
本当に、早く!早く!会えるようにならないかな?
元気になって欲しいです。
父方では、私と彼女が唯一の女性だったので、これから年をとっても、いろんな思い出が語れる相手って、彼女しかいないのです。
小さい頃から、夏休み、冬休みは、我が家に来ていて、あちこちと出かけたものですから。
こうなりゃ神頼みです。
北向観音様は、菊の御紋が許されている大変位の高い観音堂なのです。
一生懸命祈ってきました。
観音堂の裏て。
もう少し紅葉が始まっています。
この後、野倉までドライブ。
夫婦道祖神、可愛いでしょ?
野倉は、本当に隠れ里みたいなところ。
山に囲まれたところにポツンとある村です。
なんだか穏やかで静かな時間が流れています。
この後、午後は、山宣の生涯についてのお話を伺い帰ってまいりました。
なかなかのロングドライブ。(私にしては)
今日は良く晴れて、窓全開でちょうどいいくらいのドライブ日和でした。
たまにはいいわね!