地球に迷い込んだ人間 第25章
第25章山の中の家⸻車は、山の奥へ、静かに進んでいった。⸻しばらくすると、見慣れた景色が、少しずつ現れてきた。⸻そして、午前11時ごろ。⸻じいちゃんと、ばあちゃんの家に着いた。⸻車を降りる。⸻そこには、山の匂いがあった。⸻土の匂い。木の匂い。草の匂い。⸻そして、ばあちゃんが、畑から何かを持ってきた。⸻「食べるか。」⸻それは、採れたばかりの、とうもろこしだった。⸻皮をむく。⸻そのまま、かぶりつく。⸻甘い。⸻ものすごく甘い。⸻主人公は、思わず笑った。⸻そして、大きなスイカ。⸻ばあちゃんが、包丁を入れる。⸻パカッ。⸻真っ赤な実が、顔を出した。⸻みんなで、スイカを食べる。⸻冷たくて、甘くて、みずみずしい。⸻主人公は、スイカを食べながら、目の前の畑を眺めた。⸻そこには、夏野菜が、たくさん実っていた。⸻トマト。きゅうり。なす。ピーマン。とうもろこし。スイカ。⸻太陽を浴びて、どの野菜も、元気に育っている。⸻主人公は、ふと思った。⸻こういう時間って、いいな。⸻誰かが、どこかで作ったものを、買って食べるんじゃない。⸻目の前の畑で、ばあちゃんが育てたものを、今、自分が食べている。⸻土から生まれたものを、土の近くで食べる。⸻それだけなのに、なんだか、すごく豊かな気持ちになった。⸻そのあと、田んぼへ行った。⸻青々とした稲が、一面に広がっている。⸻風が吹く。⸻稲が、一斉に揺れる。⸻主人公は、稲にそっと触れた。⸻その感触を、しばらく感じていた。⸻セミが鳴いている。⸻カエルも鳴いている。⸻鳥たちも、あちこちで鳴いている。⸻まるで、山も、田んぼも、虫も、鳥も、みんなで歌っているようだった。⸻主人公は、その音を聴きながら、思った。⸻ここでは、人間だけが、生きているんじゃない。⸻稲も。虫も。鳥も。カエルも。土も。水も。⸻みんなが、ひとつの世界の中で、一緒に生きている。⸻夕方になる。⸻山の向こうへ、太陽が沈んでいく。⸻主人公は、山に沈む夕日を、じっと見ていた。⸻空が、ゆっくりと、オレンジ色に染まっていく。⸻その景色を見ていると、なぜか、昔から感じていたことを、思い出した。⸻「出雲」。⸻主人公は、昔から、この二つの漢字が並んでいるのを見ると、なぜかワクワクした。⸻「出」と、「雲」。⸻ただ、二つの文字が並んでいるだけなのに。⸻なぜか、その向こうに、何かがあるような気がしていた。⸻神様。⸻見えない世界。⸻そして、もっと大きな、宇宙のようなもの。⸻理由なんて、わからない。⸻ただ、「出雲」という二文字を見ると、心が動いた。⸻そして、⸻近所の集会所に、人が集まっていた。⸻いつもの集会所。⸻でも、今日は、いつもと違っていた。⸻太鼓の音が、響いている。⸻ドン。⸻ドン。⸻ドドン。⸻笛の音が、その上を走っていく。⸻主人公は、その音を聞きながら、胸が高鳴っていた。⸻そして、舞台を見る。⸻そこに、じいちゃんがいた。⸻普段の、優しいじいちゃんとは、少し違って見えた。⸻衣装をまとい、面をつける。⸻太鼓が鳴る。⸻ドン。⸻ドン。⸻ドン。⸻そして、じいちゃんが、舞い始めた。⸻天神。⸻その姿には、力があった。⸻足を踏み鳴らす。⸻身体を大きく動かす。⸻そして、鋭く舞う。⸻さっきまで、一緒にスイカを食べていた、あのじいちゃんとは、まるで別人だった。⸻主人公は、息をするのも忘れて、見つめていた。⸻太鼓が、どんどん速くなる。⸻ドン。ドン。ドドドン。⸻笛が響く。⸻観客の空気も、変わっていく。⸻じいちゃんの舞が、どんどん激しくなる。⸻身体を低くする。⸻そして、一気に跳ね上がる。⸻腕を大きく広げる。⸻足を踏み鳴らす。⸻その一つ一つの動きに、長い年月が、刻まれているようだった。⸻主人公は、思った。⸻じいちゃん、こんなことをしていたんだ。⸻こんなに、カッコよかったんだ。⸻そして、場面が変わる。⸻太鼓の音が、さらに大きくなる。⸻ドン!⸻ドン!⸻ドドドドン!⸻すると、舞台の奥から、何かが現れた。⸻大蛇。⸻大きな身体が、うねる。⸻まるで、本当に生きているようだった。⸻頭が動く。⸻身体がくねる。⸻そして、舞台いっぱいに、その姿が広がっていく。⸻主人公は、思わず身を乗り出した。⸻すごい。⸻大蛇が、天に向かって、首を伸ばす。⸻そして、大きく身体を揺らす。⸻太鼓が、その動きを追いかける。⸻ドン!⸻ドン!⸻ドン!⸻笛が、まるで大蛇を誘うように、高く響く。⸻大蛇が、主人公の目の前を、大きく横切っていく。⸻赤い目。⸻大きな口。⸻うねる身体。⸻その迫力に、主人公は、ただただ圧倒された。⸻でも、その大蛇を舞っているのも、じいちゃんだった。⸻さっきまで、一緒にスイカを食べていた、じいちゃん。⸻そのじいちゃんが、今、神話の世界にいる。⸻大蛇が、何度も、何度も、身体をうねらせる。⸻太鼓が、さらに激しくなる。⸻ドン!ドン!ドドン!ドン!⸻会場から、大きな歓声が上がる。⸻主人公の胸も、どんどん熱くなっていく。⸻そして、ふと、あることを思った。⸻これを、息子に見せたい。⸻じいちゃんが、こんなふうに舞っていたこと。⸻この土地で、神楽が、ずっと受け継がれてきたこと。⸻太鼓の音。⸻笛の音。⸻舞う身体。⸻そして、それを見る人たち。⸻全部が、ひとつになっている。⸻主人公は、心の中で、息子に語りかけた。⸻「見てごらん。」⸻「これが、僕のじいちゃんだよ。」⸻「カッコいいだろ。」⸻でも、息子は、ここにはいない。⸻じいちゃんも、もう、この世界にはいない。⸻だから、現実では、二人が出会うことはできない。⸻それでも、主人公は思った。⸻いつか、息子に伝えよう。⸻写真でも。⸻映像でも。⸻言葉でも。⸻そして、自分の記憶でも。⸻「じいちゃんは、こんなふうに、神楽を舞っていたんだよ。」⸻そう伝えたい。⸻大蛇が、最後の舞を舞う。⸻身体が、大きくうねる。⸻そして、一瞬、動きが止まる。⸻静寂。⸻次の瞬間。⸻ドンッ!⸻大きな太鼓の音が、集会所いっぱいに響いた。⸻拍手が起こる。⸻主人公も、思いきり拍手をした。⸻胸が、いっぱいだった。⸻じいちゃんが、舞台から降りてくる。⸻面を外す。⸻そこには、いつものじいちゃんがいた。⸻主人公は、思わず笑った。⸻さっきまで、神話の世界にいた人が、また、じいちゃんに戻っている。⸻主人公は、その姿を見ながら、思った。⸻この人から、何かを受け取ったんだ。⸻そして、自分もまた、何かを次の世代へ、渡していくんだ。⸻神楽の音は、まだ、主人公の胸の中に、残っていた。⸻ドン。⸻ドン。⸻ドン。⸻その夜、家に戻った。⸻その日のごはんは、新鮮な刺身だった。⸻山の中の家なのに、食卓には、海の恵みが並んでいる。⸻山。畑。田んぼ。海。⸻全部が、つながっている。⸻ごはんを食べ終えると、じいちゃんが、竹を割り始めた。⸻パキッ。⸻竹が割れる音。⸻その竹で、火を焚く。⸻ばあちゃんが、五右衛門風呂を沸かしてくれた。⸻薪が燃える。⸻パチパチと、音がする。⸻主人公は、五右衛門風呂に入った。⸻湯気の向こうには、夜の山。⸻空を見上げる。⸻星が見える。⸻主人公は、ゆっくりと、湯船につかった。⸻温かい。⸻身体の奥まで、ゆっくりと、ほどけていく。⸻昼間に聞いた、セミの声。⸻田んぼの稲。⸻山に沈んでいった夕日。⸻そして、集会所に響いていた、太鼓と笛の音。⸻いろんな景色が、頭の中を、ゆっくり流れていった。⸻主人公は、目を閉じた。⸻なんだか、すごく安心していた。⸻お風呂から上がる。⸻家の中は、静かだった。⸻布団が、敷いてある。⸻主人公は、布団に入った。⸻窓の外から、虫の声が聞こえる。⸻遠くで、鳥の声もする。⸻風が、木々を揺らしている。⸻時計を見る。⸻でも、もう、時間なんて、どうでもよかった。⸻明日は、時計に起こされなくてもいい。⸻朝が来れば、自然が、教えてくれる。⸻主人公は、小さく笑った。⸻「おやすみ。」⸻そう呟くと、ゆっくりと、目を閉じた。⸻そして、主人公は、深い眠りについた。⸻翌朝。⸻空が、少しずつ明るくなっていく。⸻山の向こうから、朝日が昇る。⸻「モォー。」⸻牛が鳴いた。⸻「コケコッコー。」⸻ニワトリが鳴いた。⸻朝が、自然に始まった。⸻時計が、主人公を起こしたんじゃない。⸻朝日が昇り、牛が鳴き、ニワトリが鳴く。⸻自然が、一日の始まりを、教えてくれる。⸻主人公は、そのことが、なんだか嬉しかった。⸻これが、本当の人間の生活なのかもしれない。⸻時計に起こされるのではなく、太陽とともに目を覚ます。⸻お腹が空いたら、食べる。⸻喉が渇いたら、水を飲む。⸻暗くなったら、眠る。⸻自然のリズムの中で、生きていく。⸻ばあちゃんが、朝ごはんを用意してくれた。⸻そこには、平飼いのニワトリが産んだ、うみたての卵。⸻そして、畑から採ってきた、新鮮な夏野菜。⸻トマト。きゅうり。なす。⸻どれも、朝の光を浴びて、キラキラしていた。⸻うみたての卵を、割る。⸻黄身が、ぷっくりと盛り上がっている。⸻主人公は、それを食べる。⸻おいしい。⸻野菜を、そのままかじる。⸻みずみずしい。⸻土から生まれたものを、その日のうちに、いただく。⸻主人公は、朝ごはんを食べながら、静かに思った。⸻僕は、こんな暮らしを、ずっと探していたんだ。⸻便利な暮らしじゃなくて、豊かな暮らし。⸻たくさん持つことじゃなくて、たくさん感じること。⸻自然からいただいて、自然の中で生きていく。⸻そして、受け取ったものを、次の世代へ渡していく。⸻じいちゃんから。ばあちゃんから。⸻自分へ。⸻そして、息子へ。⸻そうやって、命は、つながっていく。⸻じいちゃんと、ばあちゃんは、もう、この世界にはいない。⸻それでも、主人公の中には、二人から受け取ったものが、ちゃんと残っていた。⸻畑。⸻田んぼ。⸻山。⸻海。⸻五右衛門風呂。⸻そして、神楽。⸻それは、思い出という言葉だけでは、言い表せないものだった。⸻生き方そのものが、主人公の中に、残っている。⸻だから、いつか息子に、じいちゃんが舞っている姿を、見せたい。⸻実際に、会わせることはできなくても。⸻写真でも。⸻映像でも。⸻話でも。⸻そして、自分の記憶の中でも。⸻「これが、僕のじいちゃんだよ。」⸻そう伝えたい。⸻今もまだ、主人公は、夢の中にいた。⸻小学生だった自分が、ブルートレイン出雲に乗って、島根へ帰ってきた。⸻そして今、そのままの夢の中で、じいちゃんと、ばあちゃんの家にいる。⸻夢なのに、すべてが、あまりにもリアルだった。⸻畑の土の匂い。⸻稲に触れた感触。⸻セミの声。⸻神楽の太鼓。⸻じいちゃんの舞。⸻ばあちゃんのご飯。⸻全部が、まるで本当に、そこにあるようだった。⸻そして、そこで主人公は、気づき始めていた。⸻自分が本当に帰りたい場所は、ただの「場所」ではないのかもしれない。⸻自然とともに暮らすこと。⸻命をいただくこと。⸻家族と過ごすこと。⸻受け継いだものを、次の世代へ渡していくこと。⸻それこそが、自分がずっと探していた、「帰る」ということなのかもしれない。⸻山の中の家。⸻畑。⸻田んぼ。⸻海。⸻神楽。⸻家族。⸻自然。⸻そして、受け継がれていく命。⸻僕が帰りたい場所は、地図の上にある、ひとつの場所じゃない。⸻人と自然と命が、もう一度、つながっている場所。⸻そんな世界を、僕は、この地球で、もう一度つくってみたい。⸻昔に戻りたいわけじゃない。⸻昔から大切にされてきたものを、未来へ持っていきたい。⸻そして、いつか息子に、じいちゃんが舞っている姿を、見せたい。⸻「見てごらん。」⸻「これが、僕のじいちゃんだよ。」⸻そう言える日を、心の中で、ずっと思い描いていた。⸻その姿を想像すると、主人公は、また少し、ワクワクした。⸻山の向こうから、朝日が昇っている。⸻牛が鳴く。⸻ニワトリが鳴く。⸻鳥が歌う。⸻風が、稲を揺らす。⸻今日も、地球の一日が、自然に始まっていた。