『京都/広島/小倉/新潟。カーチスルメイ少佐/原爆弾投下目標』

戦争は、食い物は無い、金属は取り上げられて、ろくに働きもしないうちに大和武蔵は沈められちゃうし、焼夷弾と浮かされて焼け野原、おまけに原子爆弾の実験投下で足す牛に、その後も死ぬまで苦しめられたのだ。
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昭和19年から東京周辺飛行機工場周辺に焼夷弾攻撃開始。p142

慎重に選び出された、攻撃目標都市リストアップ。京都、広島、小倉、新潟。p145
長崎ははいっていなかったのだが、不運にも天候曇りのため急遽長崎に投下された!p149

平和が、もう日本の門口にまで訪れていながら、指導層の大いなる錯誤と無為無策によって、そいてアメリカの無条件以外の講和は」ないという強硬戦略によって、大日本帝国の徹底的破滅の日が訪れるまで、戦争はやみくもにつづけられたのである。

昭和39年ときの日本政府は、米軍参謀総長として来日したルメイ大将に勲一等旭日大綬章を贈った。p150
チャップリン映画「独裁者」『一人殺せば殺人者となり、百万人殺せば英雄となる』