こんにちはニコニコ

 

 

お久しぶりです。

 

ブログを読んでくださり

 

ありがとうございますおねがい

 

 

 

母が入院してから

 

目まぐるしく

 

動きまくってました。

 

 

 

母が退院してきて、

 

また介護をするようになったとしても

 

悔いのないよう

 

 

 

今、やれる事を

 

やっておこうと

 

イベントに参加したり、

 

宮古市のサロンマップを作成したり

 

横浜までセミナーを受けに行ったりと

 

突っ走っていました。

 

 

時々、燃料切れ起こしちゃったりねあせる

 

 

 

母も、まだまだ生きるだろう

 

あと数年は頑張るだろう。

 

という思いと

 

 

他人に気を遣う母のことだから

 

情勢が思わしくないなら

 

2024年にこの世を去るような

 

予感もありました。

 

 

 

 

 

 

そんな

 

3月初旬

 

 

母が熱を出したと

 

病院から電話がありました。

 

 

コロナではないけれど

 

炎症反応が高めです。

 

と。

 

 

 

次の日の電話は

 

インフルエンザも陰性でした。

 

 

でも、状態が良くないので

 

経管栄養をやめて、

 

点滴します。

 

抗生剤も投与します。

 

 

誤嚥性肺炎の

 

可能性が高いので

 

まだお若いですが、

 

容態が急変するかもしれません。

 

 

面会に来ていただいたほうが

 

良いです。

 

と。

 

 

姉と面会に行き、

 

防護服を着て病室の中へ。

 

母は呼びかけにも反応せず、

 

寝ていました。

 

手足は温かいね。

 

むくみはまだ少ないようだけど…

 

苦しくないと良いね。

 

なんて言いながら

 

病室を後にしました。

 

 

 

その日の午後、

 

父が面会に行った時は

 

話しかけたら頷いたぞ。

 

とのことで、

 

やっぱり旦那様が良いのね。

 

なんて笑っていました。

 

 

また、肺炎が治れば

 

回復するかもしれないね。

 

 

おばあさん(父の母)の時は

 

4回危篤状態になったが90過ぎまで生きた。

 

なんて言いながら…

 

 

 

 

その数日後

 

また病院から電話がありました。

 

 

今度は

 

母が何十年とお世話になっている

 

主治医の先生からでした。

 

 

肝臓に腫瘍が見つかった。と。

 

もう、肝臓いっぱいに

 

腫瘍が広がっていると。

 

 

専門の病院に転院しても

 

治療に耐えられる体力がないだろう。と

 

 

身体は丈夫だと思っていた母が

 

実は癌に侵されていたとは…

 

 

我慢強く、頑張り屋の母だから

 

ずっと我慢していたのかな…

 

 

何種類もの薬を

 

50年近く

 

朝、昼、晩

 

のように飲んできたから

 

肝臓も疲弊しきったのでしょう

 

 

 

 

肝臓も

 

沈黙の臓器

 

と言われています。

 

もう限界だと言わんばかりに

 

次々に症状が出てくるかもしれません

 

 

幸い、まだ黄疸やむくみは酷くないので

 

この先、苦しまないことを願うばかりです

 

 

もう、充分頑張ったよ。

 

って。

 

 

ただ、母が

 

我が身をもって

 

私に経験させてくれているのかもしれません。

 

 

 

 

続く…