とまり木を利用する方の中にはかたくなに「こころ」を閉ざしている方がいます。とまり木に通所しているのにとまり木に心がきてない・・・
時間が必要です。だけれども必ずこころもかよえます。


つい先日その方とお話をしました。今日はいつもと雰囲気とは違う感覚を感じます。
彼が話始めました。私も神経をとぎすまします。はじめは気になる出来事をポツリと話されるので、彼の訴えたいなにかを探します。しばらく表面的な会話のキャッチボールが続きます。そのうち、察した通りに感情が流れ込んできて、それと同時に私も泣けてきました。


こころの奥で「助けて」と泣き叫んでいるのに気付かないふりをし続けて、きづけなくなっていたこと。だから、当てはまらないパズルの最後のワンピースを求めてさまよい、自分を責めてました。...


彼もいいます。仕事をすることは出来ます。だけど働き続けることが出来ないのです。
彼がとまり木に初めてこられた時のポツンとたたずむ彼の表情と姿が鮮明に脳裏にあることを彼にはずっと伝えてました。その印象が強い意味が分かり、彼にこころが置き去りになっていることを伝え、とまり木はいつでも待ってますと話しました。彼も大きくうなずき、とまり木の枝にとまれるように、いえ、とまり木の枝にとまりにいきます。とおしゃってくれました。

 

そのために、とまり木職員全員の力が必要です。相手のことを知り、見えない言葉を探り、支えながら、時に背中を押し、話し合い、そして本人の望む未来に向かって歩む。
賛否両論でしょうが、働く場とまり木はひとりひとりに向き合う場としたい。