無事、中東某国に帰ってきました。今日はお休みです。
日本にいる間に読んだ本、講談社学術文庫 ドナルド・キーン著『果てしなく美しい日本』を紹介します。
果てしなく美しい日本 (講談社学術文庫)/ドナルド・キーン

¥1,155
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ドナルド・キーン氏と言えば、アメリカのコロンビア大学名誉教授で日本文学研究者ですが、日本と日本文学をこよなく愛し、東日本大震災を機に、この国に永住する決意をされ、先日日本国籍を取得されたことはニュースでも度々取り上げられました。
Wikipediaより
(引用開始)
ドナルド・キーン(英語:Donald Keene、1922年6月18日 - )は、アメリカ合衆国出身の日本文学研究者、文芸評論家。勲等は勲二等。コロンビア大学名誉教授。日本国籍取得後の本名はキーン ドナルド。日本国籍取得前の本名はドナルド・ローレンス・キーン(英語:Donald Lawrence Keene)。通称(雅号)として漢字表記の鬼怒鳴門(きーん どなるど)も用いる。
日本文化を欧米へ紹介して数多くの業績を残した。称号は東京都北区名誉区民、ケンブリッジ大学、東北大学ほかから名誉博士。賞歴には全米文芸評論家賞受賞など。勲等は勲二等。2008年に文化勲章受章。「ドナルド・キーン」での表記が多い。
(引用終わり)
キーン氏の文章は新聞などで何度も読んだように思いますが、著書を読んだことはありませんでした。
そこで、今回このような本を購入し、読んでみた次第です。
この本は、三部からなります。
第一部 生きている日本(p17~p253)
この本のメインで、1958年にアメリカで英語で書かれた文章であり、1973年に日本語訳されています。
キーン氏は1953年から3年間京都大学に留学していて、そのときの体験に基づいて書かれています。
これに加え、
第二部 世界の中の日本文化(p255~p292):1992年富山での日本語講演の記録
第三部 東洋と西洋(p293~p326):1999年国際シンポジウムの英語講演の翻訳
が収載されています。
第一部では、日本の歴史、日本人の一生、宗教、産業、政治、教育、文化について幅広く鋭く分析した内容が記述されています。
書かれたのが終戦からまだ13年の昭和33年ですので、例えば、日本人の結婚相手は両親が探す、労働人口の40%が農業に従事しているなど、現在とは全くかけはなれた部分ももちろんありますが、復興期の日本を知るという意味でかえって興味深い感があります。もちろん、歴史や伝統文化の記述は今も有効です。
よくこの時期に、わずか3年の日本滞在を基にして、専門の日本文学についてだけでなくここまで広範に日本のことを書けたものだと感心します。
これは、いささか古いとは言え、外国人にとって日本を知るために最適の文章のひとつでしょう。
さて、私が特に興味深く読んだのは、第二部・第三部の中の16世紀頃のヨーロッパと日本の文化の比較についての記述です。
16世紀に日本にキリスト教を伝えたことで有名なフランシスコ・ザビエルは、このように書いています。「日本人は我々によく似ている国民である。同じ程度の文化を有する国民である。」
キーン氏は、これを「ヨーロッパ人としてはあまりいいたくない表現」であるとして、第二部で以下のように書いています。
(引用開始)
実際に日本文化の水準は、ヨーロッパ文化の水準よりも高かったと思います。高かったけれども、大きな欠点が一つあった。その大きな欠点はキリスト教がなかったということです。それで「文化の程度がヨーロッパより非常に高い」「文化のかなめとしてのキリスト教がない」の二つを合わせると、ヨーロッパと同じ程度になるとザビエルは思ったんじゃないか。このように私は解釈したいと思います。
(引用終わり)
さらに第三部の方から引用します。
(引用開始)
宣教師たちは多くの点で当時のヨーロッパより優れていた生活様式についても学びました。ある宣教師は故国に送ったかずかずの手紙で、ほとんど毎回、日本の家がきわめて清潔なことについて書いていますが、つまり、それは間接的に、ヨーロッパではふつう家や人々がいかに不潔だったかを物語っています。次のように書いた者もいました。「一日に入浴する頻度という点で、日本人は他のどの国民にも優っていると思われるが……さらにいっそう優れているのは、入浴するときの清潔さと品位であり、浴場を建てる場合は、もっとも貴重な薬効のある木材を用いる。」
ヨーロッパ人は食卓の作法にもびっくりしました。日本人は「箸と呼ばれる日本の小さな棒を使って、しかも、それを巧に操って清潔に食べ、素手で食物に触ったり、食べかすを皿から食卓にこぼしたりはしない。」また、ある宣教師によれば、彼と同僚たちが食事を振る舞われたとき、「目の前に並べられた食べ物を片端から我々の流儀で食べ始めたら、手掴みで食べるそんなやり方を目にした彼女たちが笑いころげた。それはこの世のいかなる喜劇にも増して王と女王を喜ばせた。」日本の部屋は汚れひとつないので、どこに唾を吐いたらいいかわからない、と不平を言った宣教師もいました。
当時はまだフォークが発明されていなかったので、ヨーロッパ人は貴族といえども手づかみで食べていましたし、ナイフで骨から肉を切り取ると、骨は犬に与えたり、床に投げ捨てられたりしたので、食堂の床には、骨や食べ残した食べ物を隠すために、わざわざ葦(あし)が撒き散らされてあったのです。
宣教師たちは概して日本食を好みませんでしたが、作法には一目置いていました。「食べ物は薦められない。その点では、日本はもっとも不毛な土地である。しかし、作法、秩序、清潔さ、用具については、私には世界中で日本ほど優れた国があるとは思えない。」
(引用終わり)
日本の歴史の授業ではこんなことは教えてくれませんね。ポルトガル人は、ヨーロッパの高度な先進文化を、遅れていた日本に伝えたのだと思い込んでいました。
野蛮人に文化を植え付けてやろうと意気込んできた宣教師たちが、自分たちより優れた文化を持つ日本という国の人々を目の前にして、驚き、恥じ入ってしまったのかと思うと、ちょっと痛快です。
それから、フォークの歴史がそんなに浅いとは知りませんでした。
Wikipediaより
(引用開始)
イタリアでは、14世紀によく使われるようになり、1600年頃までには商人や上流階級の間でごく一般的に使用されるようになった。一方、南欧以外のヨーロッパでは、フォークがなかなか浸透しなかった。英語の文献に初登場するのは、1611年のトーマス・コライヤットのイタリア寄航文(1611年)だと見られている。しかしながら長年にわたって女々しいイタリア文化への偏愛とみなされていたようである。英国において一般人がフォークを使うようになるのは、18世紀に入ってからである。現代において一般的な弓なり型のフォークは、18世紀中頃にドイツで発明された。そして4本歯のフォークが一般的に使われるようになるのは19世紀初頭である。
(引用終わり)
私は、フォークとナイフで食事をするのが上品だと思ってしまうのは、日本人に特有の欧米への劣等感からであって、よく考えてみれば、箸という洗練された道具に比べれば、フォークやナイフなど肉食野蛮人の道具だと思います。
そのフォークですら、こんなに歴史が浅く、それまでヨーロッパ人は手づかみで食べていたとは驚きです。映画などでもちゃんと時代考証を考えて表現されているのか、興味がわきます。
キーン氏の著書の第二部ではフォークがようやく伝わった頃のルイ十四世(1638-1715)も、手づかみで食べていたことが紹介されています。そして彼が完成させたベルサイユ宮殿が、「具体的な話は避けますけれども、きわめて非衛生的なところだった。」と書かれています。
キーン氏は品性高くそれを具体的に書きませんでしたが、私は以前にベルサイユ宮殿の不潔さについて聞いたことがあったのでネットで探したところ、知っていた話がこのようにまとめられているのを見つけました。
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~konokatu/kou(03-7-31)
(引用開始)
ヴェルサイユ宮殿では、当初トイレとして独立した部屋がなく、ルイ14世の時代には274個の椅子式便器があった。しかし、宮殿には常時4000人もの人が生活していたので、274個ではあまりに少なかった。そこで近くに便器がない時廷臣たちは、廊下や部屋の隅、庭の茂みで用を足した。貴婦人たちの傘のように開いたスカートは、このために考案されたといわれている。清潔好きの者は、陶製の携帯用便器を使っていたそうだが、中身は従者が庭に捨ててしまっていた事に加え、宮殿内の便器の中身も庭に捨てていたため、ヴェルサイユ宮殿は中庭や通路、回廊など糞尿であふれ、ものすごい悪臭だったそうだ。
また、当時の紳士淑女の服は月1回洗濯できれば良い方で、服にカビが生えているのは当たり前だった。お風呂やシャワーも全く利用しなかったため、体臭など臭いをごまかすため、香水を大量にふりかけていた。ヨーロッパではこういう背景から香水が発達していったそうだ。
(引用終わり)
Wikipedia(スカートの記事)にもこのように書かれています。
(引用開始)
フープスカート(パニエスカート)
鯨の髭やプラスチックなどでできた張り骨で傘のように大きく広げたスカート。一般にロングスカートであり、ドレスの一部をなすことが多い。衛生的な便所が完成する以前の中世の欧州では、上流階級の女性は一般的にフープスカートを着用したまま立位で排尿していた。なお、このため当時は下腹部に密着する下着(パンティーなど)が着用される習慣はなかった。
(引用終わり)
スーラの『グランド・ジャット島の日曜日の午後』で出てくるような貴婦人のスカートは、立ったまま小便をするためのものだったということです。

このようなヨーロッパ人に比べると、日本はたいへん清潔な国だったでしょう。
その上、出島貿易でヨーロッパにもたらされた品々、例えば中国よりも優れた陶器・磁器、日本刀、絵画、漆器、蒔絵、扇子なども高く評価されていた、と。
しかし、その後、二つの理由でヨーロッパ人はそんな優れた日本文化を正しく評価できなくなった、と記されています。
そのひとつは、日本人がヨーロッパの社交的な生活もできる国民であると示そうとした「鹿鳴館時代」のために、かえって日本は「サル真似の国」と評価されたこと。
もうひとつは、「日本は神秘な国だ」との伝説。1985年ローウェルという人が『オカルト・ジャパン(神秘な日本)』という本を書き、日本人自身も自らを神秘な国民であり外国人には理解できないと思うようになったことだと。
そしてキーン氏は、(1992年現在、)日本文化がまだ十分に世界に知られていないので、「このすばらしい日本文化をもっと世界に広めたいという望みを私は持っていますし、これからも努力を惜しまないつもりです。」と富山での講演を締めくくっています。
キーン氏の専門である日本文学の話とは異なりますが、この本は、日本を愛する日本人「鬼怒鳴門」氏の日本への愛情あふれる示唆に富んだ秀逸な日本論です。
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