日航123便 あの日の記憶 天空の星たちへ/青山透子

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著者は元JALのスチュワーデスで、日航123便で亡くなった客室乗務員12名のうち6名が同じグループの先輩たちだった人。
第一部は著者の新人時代の話。1982年の初フライトから、プライドも高く責任感も強かったスチュワーデスの先輩たちに、著者が教わりながら一人前になっていく。「古きよき時代」という感じで、先輩たちとのエピソードがつづられる。
そして第二部。1985年8月12日、日航123便の墜落事故。乗員乗客520名が死亡するという単独の航空機事故としては世界最大の事故。翌日には、お世話になった先輩たちが亡くなったことを知りながら、そして乗客たちにどう挨拶していいかわからないまま、フライトをこなす著者。
そこから著者は、丹念に事故原因を追究していく。どうも公式発表は何かがおかしい、と。
・事故直後の中曽根首相や山下運輸大臣のコメントで、こういう事故ではお決まりの「事故原因を徹底的に究明する」という言葉が出ていない。
・垂直尾翼の破損は、飛行機同士の衝突などの外からの力が加わった場合か、機内内側からの空気の噴出の場合と考えられると。そして、圧力隔壁が破損して空気が爆発的に流れ、尾翼を破壊したことが原因ととされている。
しかし、生存者の証言で、機内では急激な減圧も爆発的な空気の流れはなかった。生存者の鼓膜も破れていない。そうすると外的要因だと考えるべきだが・・・。
・破れた隔壁が発見されたとされているが、飛行中か墜落の衝撃によるのか、さらに救出活動で切断された際の亀裂か分からない。
・ボーイング社は8/18、圧力隔壁が破壊され、垂直尾翼を吹き飛ばしたのが原因との報道を否定した。(読売新聞)散乱した圧力隔壁の破片を調べたが、腐食や金属疲労の証拠は発見されなかったと、日本側の見方を否定した(毎日新聞)
・8/19、日航による圧力隔壁破壊実験の結果、これが原因で垂直尾翼が破壊されたとは考えにくいと発表(毎日新聞)。海上から引き上げられた破片も実験結果と異なる(産経新聞)。
・圧力隔壁破壊による急減圧が起きた場合、機内の酸素が不足するため緊急降下が不可欠であるが、フライトレコーダによると全く行われていない。ボイスレコーダの声も正常で、低酸素で意識がもうろうとしているわけではない。
ところが、9/6になって突然、1976年の尻もち事故の際のボーイング社の修理の不備による可能性が高い、と米国の新聞で報道される。ここから一気に、日本側の事故調査委員会も、修理ミスから生じた圧力隔壁の亀裂から爆風が吹き、垂直尾翼を内部から吹き飛ばした説へ傾いていく。
業務上過失致死容疑で書類送検された日航12名、運輸省4名、ボーイング社4名、および遺族から告訴された三者の首脳ら12名の合計31名は、全員不起訴とされ、1990年時効。520名の命が失われたこの事故で、誰も刑事責任を問われなかった。
第三章では、著者が日航を辞めて航空業界への就職を夢見る学生の教育の仕事に携わってからの話。
あの事故と向き合うために、学生たちのレポート課題として調査させてわかってきた新たな疑問が浮かんでくる。
・日本航空の整備部長が、数ミリの亀裂でもすぐにわかるので、修理ミスが原因とは考えられないとコメントしている。
・1990年になって、墜落直前の機内を撮った写真が遺族から公開された。機内は落ち着いており、全てが吸い出されてもおかしくない急減圧があった後とは思えない。マイナス何十度の低気温になるはずだが、そうも見えない。
1986年のタイ航空機で圧力隔壁が破損した事故では、一瞬で白いもやが充満し、乗員乗客89名全員が航空性中耳炎になったのと比べて、いかにも違いすぎる。
・中曽根首相は事故現場に一切駆けつけず、8/15から突然、健康管理上で人間ドックに入り、その後軽井沢で静養。その後もテニスと水泳と読書。と
・1995年になっての報道。墜落の20分後には米軍機が墜落地点に到着し、9時5分には米海兵隊救難チームが現場に到着して隊員がロープで降りようとしていたが、「日本側が現場に向かっているので帰還せよ」との命令を受けたと。落合由美さんの証言では、ヘリコプターが上空にいたとき、周りに数人の子供たちの声が聞こえていたので、そのまま救助したらもっとたくさんの命が救えただろう。
・一方で、日本の報道では、その後も墜落現場がコロコロと変わった。これらの地点をたどると、本当の墜落現場を中心として円が描ける。わざと散らしたいという作為的な意識を感じる、と。
・地元の消防団がようやく現場に到着したとき、もう山を降りてきた人がいた。この惨事にもかかわらず、一言も声を出さずに降りていった。
・検死した歯科医師(元警察医)によると、遺体は歯の骨まで真っ黒で、炭化状態になっていた。通常の火災現場の遺体と違って、二度焼かれたようだった。「ジェット燃料(ケロシン)」といっても、基本は灯油。周りの木の幹は茶色にこげた程度だったのに。
本作品では、先輩客室乗務員との思い出や、現場となった上野村の方々の献身的な働き、そしてJALの経営破たんと客室乗務員のレベルの低下などにもページを費やしていますが、そこは省略します。
半信半疑以下だった私も、この本を読んで、何か大きな隠し事があるのではないかとの疑いを強く持つようになりました。
うーん、しかし「二度焼き」はさすがに信じたくないですが・・・。
前にも紹介しましたが、この件を追求しているサイトはこちらです。
http://nvc.halsnet.com/jhattori/nikkou123/