低線量被曝のリスク リスク評価とわかりやすい行動指針 | ナンでもカンでも好奇心!(tomamのブログ)

ナンでもカンでも好奇心!(tomamのブログ)

硬軟取り混ぜた種々雑多なネタについて書いてみようかと思います。
全くまとまりがないと思うけど、それが自分らしさということで。。。

またまた、安井至先生の記事のご紹介です。
最新記事は、「緊急事態期の数値の読み方」。

http://www.yasuienv.net/RadRiskCom2.htm

まず、毎日新聞の小島正美記者が最近発行した本 「正しいリスクの伝え方」 が紹介されています。
まず最初にこの一節。

(引用開始)
厚労省は、大地震発生から6日たった3月17日、食品における放射性物質の暫定規制値を駆け足で決めていた。そして、3日後の20日、暫定規制値の根拠(摂取上限値)がこのままでよいかどうかを食品安全委員会に諮問していた。

B君:厚労省の暫定規制値は、原子力安全委員会が1998年に設定していた数値をそもまま引用したもので、その規制値は、EUよりも厳しいものだった。
(引用終わり)


あれ?日本の暫定規制値は、他国に比べてすごく甘いという認識でいましたが、EUよりも厳しい?

次の図が、私が、6/13のブログで私が貼らせていただいた図です。
出所は、http://kingo999.web.fc2.com/kizyun.html

ナンでもカンでも好奇心!(tomamのブログ)

そして、これが小島氏の本からの転載(安井先生のブログから)

ナンでもカンでも好奇心!(tomamのブログ)

数字があるものは、先ほどの図と一致しています。

健康に関する規制が厳しいと思っていたEUの規制値は、日本よりもかなり緩いことがわかります。
特に、最も危険な放射性物質とされるプルトニウムや、内部被曝が危険だと叫ばれているストロンチウムも含めて、EUはかなり甘い数字ですね。

先ほどの図では、日本の規制値が甘く見えるものだけを意図的に選んで作成されていたのでしょうか?
不安をあおるためにそうしていたとしたら、それを紹介した私にも責任がありますね・・・。


続いて、暫定規制値を決定した経緯が紹介されています。要約すると・・・、

(要約開始)
この厳しい値に対して、福島県などからは、「この規制値では福島の農業が壊滅する。緩めて欲しい」、という陳情が行われていた。ここで食品安全委員会がどのような結論を出すかは、農業だけでなく、国民の食品へのリスク観、政府への信頼度などに関わる重大な要素である。

食品安全委員会の専門家の意見の大勢は「100ミリシーベルト以下の範囲なら、明確な悪影響はない」、でほぼ一致しており、セシウムの食品からの内部被曝に関して、現行の年間5mSvを10mSvに引き上げても、健康への影響に差はないという空気だった。

しかし、これが新聞で報道されると、食品安全委員会に100件を超える抗議、批判がメールで寄せられた。
その結果、結局、3月29日にはセシウムについては5mSvと発表された。
 
一人の委員の本音:「暫定基準値が厳しすぎるのは分かっているが、この時期に緩める結論を出せば、国民から批判がくるのは必至です。『おれたちを殺す気か』といったメールまで来ました。委員の間で大激論しましたが、結局、現行の5mSvで収まりました」。

阿南久・全国消費者団体連絡会事務局長(←消費者の安全を守る側の立場ですよね)が、「10ミリを認める意見があったにもかかわらず、5ミリシーベルトの方が『安全側に立ったもの』であるとした。数字を比較すれば、小さいほうが安全側にたっているのは、だれにでもわかる。これがリスク評価でしょうか?がっかりした」と強い口調で述べた。

小島氏は「世論という妖怪に負けた」と表現している。「科学的な判断を重視するはずの食品安全委員会が「世論」というか「世間の空気」を気にしたということだ」。

しかも、その世論とは、何かあるとメール攻撃を事務局に仕掛けるような、特定の人々高々「100名程度の意思」が「世論」だということになってしまう。

(要約終わり)

どうもこの国は、科学的な判断をすべき人たちが科学的な判断ができず、このように動いているようです。
EUはその点で理性的で、科学者の科学的根拠を元にリスクを評価して基準値を決めているのでしょう。

日本では確かに原子力村の信用できない科学者も多いので、理性的な判断が難しいのですが、それに引きずられて正しいことを言っている科学者まで「御用学者」とたたかれ(これは先日書いたダイオキシンでも起きたことででした)、さらには学者の方も世間を気にして自らの科学的信念を曲げてしまう、と。


そして、小佐古教授の辞任劇。

(引用開始)
A君:小島氏は、小佐古教授の涙の会見以来、世間の流れが変わったとしています。小島氏の表現によれば、「人の感情を揺さぶる東大教授の辞任劇、まれにみる名場面」。

C先生:我々は、内閣官房参与などに任命されて、思い上がって自らの主張をしたが、当然、理性的でないその主張が受け入れられずに辞めただけ、と極めて冷淡に評価していたのだが、小島氏は、感性面で非常に大きな影響を社会に与えたとしている。ちょっと評価を誤ったかもしれない。
(引用終わり)

私もこの辞任劇はどうも胡散臭いとブログに書いたのですが、世間の不安を高める大きな影響を与えたようです。
まさに、世間は過剰に安全を求め過ぎる方向に動いた。

それを神経質にまともに受け止める人が鬱になるなど、健康のことを無駄に心配しすぎて健康を害するという、喜劇のような悲劇まで引き起こしています。


そして、我々はどう考え、どう行動すればいいのか。
安井先生の記事の引用に、()内の英語の説明だけ追加しています。

(引用開始)
まず、平常時の規制値が、LNTモデル(直線しきい値なしモデル:100mSv以下の被曝でも、被曝量とリスクとが比例関係にあるとするモデルで、安全側だと言われている)に従ってるということをどう理解するかだが、次のような理解が良いのではないか。「なんらベネフィット(利益)が無い放射線への被曝は、避けるに越したことはない」

A君:医療用など、明確な目的があったり、職業上のことであれば、ある程度の被曝のリスクを「リスク・ベネフィット論」によって合理化することが妥当。

B君:ある程度の被曝を覚悟することで、明らかに職業を維持するというベネフィットが期待できれば、それは「リスク・ベネフィット論」で理解するのは極めて妥当。

A君:しかし、被曝しても、何らベネフィットが無いのなら、被爆するのはヤメておけ。リスクは極限まで低いかもしれないが、ほとんどゼロでも、本当のゼロではないから、得にはならない。

B君:この解釈も妥当だと思われる。それが、LNTモデルというものだ、と説明されれば、リスクを真面目に考えている人には容易に理解されることだろう。

C先生:そして、緊急事態期・復旧期の規制値の読み方だが、それは、こんな風ではないか。それがALARA原則(As Low As Reasonably Achievable、合理的に達成可能な範囲でできるだけ低く:ICRPが提唱)ということになるのかもしれないが。
 「もしも、被曝量を少なくする方法があるのなら、それを実施するかどうかを判断する際に、その方法によって、新たなリスクが発生するかどうかを定量的に理解し、リスク・トレードオフ(二律背反、一方を立てれば他方がおろそかになること)の原則に従って、判断しなさい」

A君:例えば、未だに空間線量などが高い地域に住んでいれば、自主的に引越しをすることも考えられなくはない。しかし、引越しをすると、家計の主たる収入 を維持するために、家族が別れ別れになる可能性がある。いずれにしても、費用がかかる。その上、引越しをすることの影響が、子どもの精神状況に影響を与え る可能性もある。すなわち、被曝量を下げる方法が、新たなリスクを生み出すかもしれない。だから、その新たなリスクと、その方法を採用しない場合、こちら は被曝量がある程度あるということが引き起こすことであるが、その両者のリスクを綿密に解析し、Reasonable(合理的)な判断を下すことによって、どちらか を選択することはあり得る。

B君:なるほどね。緊急事態期・復旧期には、リスク・トレードオフの方法によって判断し、平常時には、リスク・ベネフィットの方法論によって、判断せよ。これは良いかもしれない。
(引用終わり)


この説明、私はとても理解しやすいと思います。
いかがでしょうか?


最後に結論が書かれていますが、やや理解に苦しむ表現があり(「環境学ガイド」のTwitterでも指摘されています)、私なりにちょっとわかりやすく修正します。

------------------------------------------------------------------------------------------
現在は、二人に一人、1万人のうちおよそ5000人が生涯にわたってがんになる時代だということを踏まえて。

◆被曝量が100mSvなら、発がん確率が最大で0.5%高くなる。
 1万人が100mSv被曝すれば、何もなかった場合よりも最大で50人多くの人ががんになる。

◆被曝量が20mSvなら、発がん確率が最大で0.1%高くなる。
 1万人が20mSv被曝すれば、何もなかった場合よりも最大で10人多くの人ががんになる。

◆被曝量が10mSvなら、発がん確率が最大で0.05%高くなる。
 1万人が10mSv被曝すれば、何もなかった場合よりも最大で5人多くの人ががんになる。

 被曝によりこの程度がんになるリスクは上がるので、合理的な範囲で被曝量を下げる努力をするに越したことはない。
-------------------------------------------------------------------------------------------

・・・というような結論です。

被曝を避けるのに越したことはないですが、あまり無駄に心配しすぎるとかえって健康を害することもあります。
私のような楽観的ないい加減な人間は、この程度であれば、最低限の実行しやすい対応だけをして、それでがんになったら仕方ないや、と思ってしまいます。

福島産の放射性セシウムが基準値を大きく超えた牛肉が全国に流通してしまっていたことがわかりました。
それを食べてしまったかもしれないとビクビクくよくよ怖れたり悩んだりしなくても、「1~2回食べたとしてもただちに健康に影響があるわけではない」という発表は正しいので、安心していいと思います。

ただ、これからは誰も食べないようにすべきであり、そのために政府が今後流通しないように対策を(ただし合理的な範囲で)行うことが大事ですし、合わせて東電が農家への補償を行わねばならないと考えます。


以上、またまた安井先生のブログの紹介でしたー。