文部科学省が、幼稚園や学校の屋外で子供が活動する歳の放射線量の基準を従来の 年間1ミリシーベルト から、年間20ミリシーベルトに引き上げる方針を福島県に示す、との報道があります。
※注意: ミリシーベルト毎時ではなく、年間の積算値です。念のため。
読売新聞の記事
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110409-OYT1T00912.htm
文部科学省は、校庭など、幼稚園や学校の屋外で子供が活動する際の放射線量の基準を近く福島県に示す方針を固めた
同県内では、一部の学校で比較的高い濃度の放射線量や放射性物質が検出されており、体育など屋外活動の実施可否について早期に基準を示す必要があると判断した。
同省などによると、基準は、児童生徒の年間被曝許容量を20ミリ・シーベルト(2万マイクロ・シーベルト)として、一般的な校庭の使用時間などを勘案して算定する方針。原子力安全委員会の助言を得た上で、大気中の線量基準などを同県に示す。基準を超えた場合、校庭を使用禁止にし、授業を屋内だけに限るなどの措置をとる案も出ている。
(2011年4月10日03時19分 読売新聞)
この件に関して、ネット上で批判が巻き起こっています。
子どもの許容量を20倍にするとは!子どもを人体実験の道具にするのか!と。
私も最初、そのように感じました。
karinnkarinさんという方のブログで、20ミリシーベルトに反対する意見が出され、それに対してコメントの応酬が続いています。
ところが一方で、政府は20ミリシーベルト以上の地域を「計画的避難区域」としたと報道されています。
福島県浪江町は追加の避難地域として指定されました。
逆に年間20ミリシーベルトを超えない地域では避難の必要はないことになります。
計画的避難区域の指定は、毎日8時間屋外にいたと仮定しての年間被曝量で計算されている、と。
子どもが校庭で過ごす時間(の計算前提)はこれよりずっと小さいはずですので、結局、「計画的避難」がきちんと行われれば、こどもが校庭で年間20ミリシーベルト被曝することはないはず、となりますね。
さて、いずれにせよ問題は、その年間20ミリシーベルトという数字が妥当なのかどうかです。
karinnkarinさんの記事では、
・累積51ミリシーベルト被曝 慢性骨髄性白血病で死亡 (労災支給)
・累積70ミリシーベルト被曝 多発性骨髄腫で死亡 (労災支給)
・累積100ミリシーベルト被曝 悪性リンパ腫で死亡 (労災認定)
という例が挙げられており、これを見ると年間20ミリシーベルトという値を許容するのは、とても怖ろしいことと思えます。
労災に認定されていることから、因果関係は認められたことになります。
ただし、同等以上の被曝をしても何も健康問題が起きていない人が何千人・何万人(?)もいるものと考えられます。
素人の推定ですが、化学物質過敏症の方がおられるように、被曝に弱い体質の人が、ある比率で存在しているのではないかと考えます。
我々の周りでも、お酒をいくらでも飲める人もいれば、ビールを一口飲んだだけで真っ赤になる人もいることは誰でも当たり前のこととして知っていますが、これはエチルアルコールという(化学)物質に対する人の感受性がきわめて多様であることを示しています。ざっと数百倍の差でしょうか。
同様に、他の化学物質や放射線についても、極端に強い・弱い体質の人がいても全く不思議ではありません。
さて、今朝のNHKで、避難所で生活している岩手・宮城の人たちが、津波の被害にあった人が多いためか自分の家には帰れない・帰りたくないと言う人が半数を超えるのに対して、避難生活している福島の人たちの80%以上が自宅に戻りたいといっていると報道されていました。
それはそうでしょう。福島では地震・津波で大きな被害に遭ったのでなくて、原発の問題で避難させられている人たちが多いはずで、住み慣れた自分の家、知り合いが住んでいる町、先祖代々受け継いだ土地に戻りたいと思うのは当たり前と思います。
それでも、放射線量が高いために帰るべきではない、あるいは新たに避難せよとされるなら、何らかの基準が必要になります。
ここで、いくらか「緩い」と思われる基準とすることは、政府や東電の補償の面から好ましいというだけでなく、福島の人たちの望みにもかなう事であるのが難しいところです。
原子力安全委員会や政府の言うことを鵜呑みにはしたくありませんが、放射線濃度の低い地域に住む人間が「基準値を上げるな!」と短絡的に言えることではないと思います。
年間20ミリシーベルトという数字は、ほとんどの人には健康に影響のない値だと考えますが、それでも人によって白血病などのリスクを高めることはあるのでしょう。
政府もなかなか明確な指針を出せず、原発近隣の方々は、非常に難しい判断をしなければならないことになります。
残念ながら、私にはこれ以上、言えることはありません。