俺俺 | ナンでもカンでも好奇心!(tomamのブログ)

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硬軟取り混ぜた種々雑多なネタについて書いてみようかと思います。
全くまとまりがないと思うけど、それが自分らしさということで。。。

話題の小説、『俺俺』を読んだ。

俺俺/星野 智幸
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朝日新聞の書評で絶賛されていた。
「私は魂の底から涙を流した。
 今まさに存在の不安に押しつぶされそうな人は、ぜひ読んでほしい。ここに文学が存在する。」

週刊金曜日で、中島岳志氏(朝日での評者)と著者星野氏との対談が掲載された。

というようなことで、興味を持って読んでみた。表紙もインパクト十分。


マクドナルドで隣り合わせた男の携帯電話を手に入れてしまった俺(フリーター、27歳)は、なりゆきでオレオレ詐欺をしてしまう。しかし、上京してきたその男の母親は、俺を当たり前のように我が子と思い込む。逆に、久しぶりに実家に帰った俺は、実の母親から他人呼ばわりされた挙げ句、家にいるもうひとりの俺に対面する・・・。

その後、分かり合える3人の俺が集まった居心地のいい場所「俺山」ができるが、それもいつしか崩壊し、社会が俺だらけになる。俺が俺を「消去」しあう殺伐とした社会になり、俺は俺に何度も殺される。そしてサバイバルの末、ついに俺たちは消え去り、俺と他の人とは違う人間、という世界に戻る・・・。

・・・なんとも不思議な独特の世界。


週刊金曜日の対談では、冒頭、中島氏が著者の星野氏に、

「久しぶりに文学の力と可能性を感じることができました。もっと言うと、秋葉原事件の加藤智大被告がこういうものに接していたら違っていた可能性がある。」

と絶賛して始まる。


以下、対談からの抜粋。
私が何か書くより、さすがに深いですよね(笑)。


「みんな、自分が自分じゃなくてもかまわないんだ、自分は誰にでも置き換えられるんだ、という状況にあることをうすうす感じていて、その恐怖にいてもたってもいられなくなって、折にふれ暴発しかけるんじゃないでしょうか。」

「何者かであらねばならない、と期待されている状況では、おまえはどういう人間なんだ、どういう人間になろうとしているのか、と自分を証明することを命じられているわけですよね。一方で、交換可能な状況に置かれている時には、おまえなんか誰でもないんだよ、と常に否定され続ける。」

「自分は本当に必要とされていなかったのだと気づいた時から後戻りができなくなる。本当に自分以外には当てはまらない場所がある、という感覚を切実に欲する訳です。」

「みんなが俺になり、我と汝の区別がつかなくなる世界は、言葉と存在が一致した世界です。そして、その空間の中に自己を溶解させていったとき、主人公は恍惚と同時に違和感を抱いていく。」

「右翼の恍惚感って、おそらくものすごく居心地のいい社会。天皇を終身とした絶対的な民族共同体は、いつも放心状態でありながら、自己が絶対的に肯定されている社会だから、全ての悩みがなくなる。他者の苦しみがなくなる。」

「そして最後に普通の他者がいる社会に戻っていく。・・・やっぱりほどほどの他者しかいない。絶対的な分かち合える他者もいないけど、絶対に分かち合えない他者もいない。その何てことのない凡庸な社会の中に飛び込んでいく。」

「自分が社会の中で意味ある存在として生きて居る実感をもてるには、社会や他者との関係性が構築されていなければなりません。」


うーむ。深い・・・。
著者は、こんなことを考えながら、この小説を創作したということか?

しかし、印象深い展開も多々ありつつも、個人的にはあまり入り込めなかった感も事実です・・・。

よろしければ、ご一読を。


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