ShortNoteで、旅についての記事を書いてます。
とりあえず、100本くらいを目標に書こうかと。
さっき、23本目を公開したところなので、同じ内容をこちらにもアップ、と。
1999年、ロサンゼルスでひとり暮らししてた頃の話。

 * * * 

そのコインランドリーは、いつもラテン音楽が流れていた。というのも、そこで洗濯をする人たちはほぼ全員が中南米系の人たちばかりだからだ。ロサンゼルスのヒスパニックタウン。アメリカなのに、街も人もなにもかも中南米の雰囲気。英語が通じなくても、スペイン語だったら会話ができるという、不思議なエリア。

大学を卒業してから1年間、僕は写真の仕事をしながら、そのロサンゼルスのヒスパニック系の人たちが住んでいる地域に部屋を借りて住んでいた。僕は大学でスペイン語も学んでいたので、当時はそこそこスペイン語で会話もできた。うちの大家さんはメキシコ系の老夫婦。ペンキ屋を引退した旦那さんは、片目が義眼なのだが、その理由は聞かなかった。

その老夫婦の息子さんが結婚して家を出て行ったので、余った部屋の入居者を探していたとのこと。就職活動の際にたまたま知り合いになったグラフィックアーティストの方が口をきいてくれて、僕はそこに住むことになった。

家の構造的には二世帯住宅のようになっていて、入口も別。大家さんのフロアと、僕が住んでいた一階は完全に分かれていて、キッチンやバスルームもそれぞれ別々になっていた。巨大なキングサイズのベッドと、段ボール箱を台にしたテレビ。それと、冷蔵庫。キッチンにガス台が無いので、小さな電気コンロで料理をしていた。もちろん、洗濯機は無いので、週末になると近所のコインランドリーで洗濯をしていた、というわけ。

ごく普通のコインランドリー。洗濯が仕上がるまでの時間、僕はだいたいそこで本を読んでた。リトル東京の古本屋で手に入れた旧仮名遣いの『彼岸過迄』を読むのに没頭し、しばらくその物語の世界にどっぷりと入り込んでた後に、ふと顔を上げるとそこに広がる全くなじみのない異国の光景。そこでしばし現実感が消失し、しばし呆然とした。

やがて洗濯機の音に混じってラテン音楽が聞こえ、スペイン語の会話が徐々に頭に入ってきて、ようやく自分がコインランドリーにいることを思い出した。そしてまた、再び本の世界に戻っていった。