こんばんは。




僕の後輩のお話します。




彼をS君とします。



S君は22歳で、21歳の奥さんMちゃんと、1歳ちょっとの子供Tちゃんがいます。




デキ婚でした。




S君は高校を出てから働いていて、彼女は専門学校を中退してフリーターでした。




2人の考えていた人生の中に、これほど早く大きな決断を迫られる予定はなかったはずです。



しかし、望まない妊娠だったとはいえ、2人で話し合って、この子の親として立派にやりきってみせると決意して子育てが始まりました。



流すことを平気で勧めてきた友人や、S君に逃げちまえということを言う者もいました。



しかし、S君は、自分で責任を取ると言って、Tちゃんを大切に育てることを心に決めていました。




といってもまだまだ2人も子供のようなもの。



何もかもわからないまま、奥さんはわんわん泣きながら、旦那も困惑しながら、全然泣き止まない赤ちゃんを、時には恨んでしまいたくなるような気持ちになりながら、必死に必死に育てていました。



しかし、それぞれの親、特にS君の親の献身的な支えのお陰で、2人はなんとか苦悩の日々を乗り越え、苦しい子育てから、だんだん、苦しいけど嬉しい子育てへと変わっていったそうです。



Mちゃんの親が少し非協力的だったのは、S君たちの住まいからは遠くに住んでいたためです。

確かに、そう簡単にほいほい助けに来られる距離ではありませんでした。



ただ、Mちゃんは、子育ての辛さ、S君との意見や思いの食い違いから、時折り実家に帰って心を慰めにいっていたようです。



Mちゃんはまだ21歳で、嫁いできた先も実家から離れているため、友達なんて1人もいませんでした。

時々「お母さんに会いたい……」と、静かに泣いていたこともあったようです。

夫婦とはいえ、孤独を感じていたのは間違いありませんでした。





夫婦仲については、聞いている限り良い方で、話し合いは割としていたそうです。



2人の中でも、遊びたい時は家族としてのやるべきことをやりさえすれば、友達と遊びに行くこともかなり自由にしていました。



そりゃそうです。

まだ華の20代です!



ただ、S君は生活が変わった瞬間から、遊ぶことが全然減っており、それも特にストレスになっていないようでした。

子育てをすると決めたあの時から、彼の中身は大きく変わっていたのです。



しかし、奥さんはどっちかといえば遊びたい方で、ライブにいったりフェスに行ったりと、発散の場はそれなりにあったようです。



それくらいないとやってられないですよね。



母親としてどーのこーのという言葉は、外部の人間が使う時は、単に鋭い刃として女性を傷つけるだけの刃物になりがちです。



十分に遊んで、すっきりした気持ちで我が子と向き合えば、やはりその方が親にも子供にも良いと思います。その度合いにもよりますが。



あの2人が協力しながら、必死に考えながら、喧嘩しながら、Tちゃんのためにできることを一生懸命にやっている姿を見ると、本当に素晴らしいとも思いましたし、尊敬もしました。




このまま3人仲良く、素敵な家族として前に進んでいけるといいなといつもいつも思っていました。




しかし、夫婦というのは、彼氏彼女とは別で、契約という1つの大きな縛りがあるのです。




その縛りが互いを強固にしていくこともあれば、そこから逃れようとする反発を生み出すこともあるのです。




彼ら、いや、彼女には、その縄がキツくキツく締められていることを感じる頻度が、次第に増えてきていたのです。




続きは次回にします!

おやすみなさい💤