あの事件から何週間か経ち、いよいよ両家で話し合いがもたれる日が訪れました。


Mちゃんの一家は母親、当人、その姉。

Sくん一家は、両親、当人、その弟でした。


Sくんの家のリビングで話し合いが始まりました。

Mちゃんの母親から「この度は申し訳ありませんでした」と第一声謝罪がありました。
しかしその次の瞬間には「うちの子が、どれだけ辛い思いしたかわかってるの?」と、さっきの態度とは180度違った態度でつっかかってきたのです。


完全に面食らったSくん一家は、あまりの傍若無人さに黙りこんでしまいました。
相手の母親は、自分の娘がどれだけ大変でどれだけ寂しい思いをしていたかというのを、とにかくひたすらまくしたててきました。

その怒りの中には、Sくんが夫としてやってきたことへの配慮は微塵もなく、ただただ娘が苦労してきたことをわめくばかりでした。


これでは埒が開かないと思いSくんは、自分にも至らぬ点があったことも認めながらも、Mちゃんのやった行為の不誠実さについて、真正面から切り込んでいきました。


「確かに自分にも至らない点はあったと思います。ごめんなさい。でもそれもお互い様です。だからといって、不倫していいということにはならないと思います」


これに対して今回の犯人であるMちゃんはただ黙ってうつむいたままで、その横で母親が意味不明な文句を放ち続けているだけでした。
話の内容だけ聞いていると、まるで全部Sくんが悪いかのような言い分でした。
時折口を開いたMちゃんの姉も、一貫して妹の肩を持っていました。このお姉ちゃんは教師だというのだからさらに驚きました。


知性も教養もない、あまりに下品な相手のその口ぶりにしびれを切らし、Sくんの弟はその場を立ち去りました。
そして自分の部屋へ向かい、扉を思いっきり叩きつけるように閉め、「うぉらっっっ!!!!!」という怒りの声を発してそのまま出てくることはありませんでした。


そのやかましい一家に引き換え、Sくんが静かに話すこと以外、Sくん一家は誰も口を開きませんでした。いや、話す気にもならないほど相手の言い分は酷かったのです。


相手の勢いがおさまるのを待ち、Sくんは今回の肝へ話題をなんとか移すことができました。



親権のことです。



今回こんなことがありながら、Sくんは慰謝料を取るつもりはないことを伝えた上で、子供の親権は絶対自分に欲しいことを主張しました。


そして、そのことを含めた内容の書かれた誓約書と離婚届を出し彼女にサインを求めました。




そして返ってきた答えは「ノー」。



こう言われる可能性はほぼないと思っていただけに、思わぬ反撃を喰らってしまったSくんはとても驚いてしまいました。


100%彼女が悪いのにも関わらず、こちらは金銭的な面においてMちゃんに有利な条件を提示してるのに、なぜ親権を渡せないんだ。
しかも、普段の様子から見れば、いくら子供がかわいいと言っても、今後子育てを積極的にやっていくようには到底見えませんでした。


彼女も、子供がいなければもっと遊べるというようなことを言っていただけに、何もかも筋が通っていない。


しかし彼女は親権を断固として譲ろうとしませんでした。


「今回わたしがやったことは悪いけど、Tちゃんはわたしが育てたい。慰謝料も払えと言われれば払う」


ぼそぼそとではあるが、Mちゃんはこう言ったのです。


どれだけ優しいSくんでも、これだけは譲れません。離婚届には親権を記入する箇所があるのですが、このままではここを埋めることができないのです。


朝から始まった話は夕方まで延々と平行線を辿り、結局互いに意思を曲げることなく、消化不良のまま話し合いは終わりました。


M一家が帰ったあと、Sくんの父は一言だけ言いました。

「S、お前って何か悪いことしたのか?」


そんなことを思うくらいに彼は責められていたのです。



Sくんは憔悴しきっていました。
彼の家族も嫌なエネルギーの消費の仕方をしてどっと疲れていました。



計算外であったこの話し合いのあと、彼は弁護士から教えてもらったあの情報に、深く悩まされることになります。


というのは、日本の法律では親権を争う際、相手が何をやって離婚に至ったかということは別にして、子供のために、夫婦がそれぞれどれだけ時間を使ったのかという実態が問われるのです。

こうなると、たいていの場合夫は働いていて家に長時間いないため、奥さんの方が子育てに多くの時間従事していたという計算になり、親権は母親になってしまうのです。
しかも、弁護士を立てての離婚となると、この親権を覆すことはほぼ100%無理だそうです。それがたとえ、奥さんの不倫による離婚であってもです。



万が一こうなることを避けるためにも、協議離婚にして話し合いで決めようとしたのに、結局話し合いにならないばかりか、自分の権利だけは必死に主張する愚かな人間のせいで、何もかもうまくいきませんでした。
慰謝料も払うとは言っていましたが、のちにあった話し合いで「わたしはバイトしかしてないし家にもお金がないんだから、慰謝料なんて言われても払えるわけないでしょ」とまで言うのです。



彼はしだいに食事が喉を通らなくなりました。


親が心配してなんとか食事を取らせるものの、ほとんど手をつけられませんでした。

久々に彼に会った時、頬がこけ、体も細くなっていました。


しかし、幸いなことに彼には本当にたくさんの友人がいました。
彼のことを知った多くの友人が、連日彼の元を訪れ、根気よく彼を励ましてくれたそうです。
彼は多くの人に支えられていることを、心の底から感謝し喜びました。





話し合いから2ヶ月ほど経ち、彼ときちんと連絡が取れるようになってから知りましたが、やはり子供は彼女の方へ連れていかれたようでした。


不倫相手はなんと、弟が知っている男でした。
Sくんは、Mちゃんに電話をさせ、その男と電話越しで話しました。
しかし、その不倫相手はまともに自分の情報を言わずに逃げ切りました。
さらに、Sくんが問い詰めている間も、Mちゃんは彼をそんなに責めないであげてと、相手の肩を持つ様子だったので、何もかもバカバカしくなってその子についてはもう追わないことにしたそうです。



あれからそれなりの時間が経ちました。
彼は今、かなり精神的にも落ち着いて、元気な頃の自身を取り戻しています。


彼は鋭く大きな痛みを受けながら、多くのことを学びました。
今で言うところの「授かり婚」は、あまり良いことではなかったかもしれません。
それでも彼は腹を括って、良き父親になろうと努めていました。
この経験が、彼にとって良い経験であったといえるような人生にしていってもらいたいと心から願います。



今回のこの件について、僕はMちゃんとほとんど話したこともなければ、彼らの生活を間近で見ていたわけではありません。
当然、話もSくんからしか聞かないわけですから一方的な情報しかありません。

しかし、彼とその家族をよく知る自分からすれば、今回の件はSくんに非はありません。


もし彼に非があったから不倫していいという理由があるなら教えてほしいです。


そんなこと別れてからすればよかったんです。



この文章を読んだ皆様にとって、何か良い影響を与えることができたらいいなと思っています。


こんな辛い思いをして生きている人が、世の中には意外とたくさんいることをわたしたちは実は知っているはずです。


彼の経験が、多くの人の失敗を未然に防ぐ役目を担ってもらえたら幸いです。


綺麗事は大事なことです。