こんにちは!!!




雑誌の『PRESIDENT』って知ってますか?

それのオンライン版があって、そこで経営心理士の方が以前お話された経営者で、以下のような趣旨のお話をしてくださった、という記事が載ってました。






「私は今まで仕事に人生を捧げてきた。売上も伸ばして、事業も拡大し、富も名声も手に入れた。でもけっして幸せじゃない、それどころか不幸だ。会社が大きくなればなるほど社員との関係も希薄になる。引退したら社員との関係も切れた。」




 「稼ぐためにやりたくないこともやってきた。楽しい人生だったかと聞かれると、決してそんなことはない。むしろ辛いことばかりだった。それでも会社のために全部我慢してきた。」





 「でもね、死んだら富も名声も持っていけないんだ。今頃そんなことに気づいたよ。自分はこれまで何をやっていたんだろうって思うね。私はね、一番間違えてはいけないことを間違えてしまったんだよ。人生の時間の使い方をね」





従業員の感覚ではおよそ出てこない感想かもしれませんね。



彼のような成果を手に入れて幸せだという人もいるでしょうし、彼の元で働けてよかった、楽しかったと思った人もいると思います。



それでもこの社長にとってはある意味で「失敗」だったのです。




ただ稼ぐことだけを目的としていると、その目標を達成したときに、「自分は何のために生きてきたのだろう」と、ふと思うんでしょうね。

社長は一体何がしたかったんでしょうか。




今回のこの社長は、結果を出した上での「何のための人生だったんだ」という問いだったと思います。




しかし、多くの人はそもそも何かを成し遂げることなく死んでいくのではないでしょうか。



かといってその生き方が悪いかといえばそうではない。

それもみんなわかっている。

良い悪いではないとは思っていても、なんだかんだ何者かになりたいと思ってはいる。





こういう話がいつの時代にも必ず出てくるというのは、やはり自分らしく納得して生き続けている人が少ないからではないでしょうか。




大多数のうちの一人になりたくない。





今はYouTubeTikTokなど、あらゆるところ、あらゆる分野で埋没していた個の才能が発掘されています。



僕たちが毎日のように見ているのは売れていたり成果を出している人たちばかりです。当たり前です。見ない人、見られない人はそこに出てこないからです。


そしてそこに出てきていない人たちの方が大半なのに、成功者(一時的な人も含む)ばかり見続けていると、自分なんてこんなもんだと惨めに思ってしまうこともあります。



なぜみんなのように有名になったりお金を稼いだりしたいのでしょうか?



そうならなけれはならないのでしょうか?



自分で夢を見ているつもりでも、実はその夢は誰かに見せられているものではないでしょうか?






「やってみたいことは何?」






そう聞かれた時に多くの人は心の中に何かが顔を出していると思います。



それを笑う人は夢を追う勇気のない人、または他人がうまくいくことを望んでいない人たちです。

他人の非難をする時間のある暇な人たちなのです。




どうせ生きるなら気持ちよく生きたい。




みなに好かれるなんて無理だけど、よりよく生きようと努力することはできるはずです。



そうしていく中で、自分のやりたいことを臆せずできるようになれば人生楽しめるんじゃないかと思いますし、そんな風に生きてみたいです。



趣味にするのか職業にするのかで大きく変わりますが、何にせよ、自分の心に嘘をつき続けて生きていくのは精神衛生上よくないです。

毎日0.1mmでも進んでいきたいです。




ただ闇雲に生きているだけなら、あの社長が人生をかけて得た教訓はただの文字になってしまいます。




はてさて、僕って一体何がしたいんだろう。






そんなの決まってるじゃないですか!!!!


抹茶のスイーツを毎日食べたい!!!!!


抹茶カモーーーン!!!!!


おやすみなさーーーい!!!