制限時間の無い避難(訓練)なんて
制限時間の無い避難(訓練)なんて
今回の津波警報で、日本は「何も無くて良かった」と言う話になって、頭の中から「津波」が流れ去っています。
が、これ、本当に津波が来た時に助かってるのでしょうか。
なんか、使えない上司のデスマーチ(死の行進)もそうなのですが、
「とにかく急いで急いで」って、
違うのです。
「将棋倒しってことば知ってる?」なのです。
たとえば、花火大会の時に地震が起きて「ともかく皆んな一刻も早く避難してください」とアナウンスされたら、どうでしょうか。
昨今、政治家でも、芸能人でも、考え無しの脊髄反射発言が多いのですが、
今回のことで、いよいよ全国の日本人も大丈夫か?(いや大丈夫ではない)ことがハッキリした、のです。
津波で言うと、海岸から遠い、高度が高い、そんな人は別に「ともかく一刻も早く避難する」必要は無い、のです。
なのにテレビで「みんなにげて」なのです。
そんなの老人や子供、頭を使ってない人は逃げるじゃないですか。
で、こうなったらどうします?
その場合の責任は、メディアはとらない、のです。
たとえば、映画館で超満員の『鬼滅の刃』を見てる子達に、海の真横でもないのに「みんなすぐにげて」と言ったらどうなるか、なのです。
つまりはメディアも、己の保身しか考えてない、のです。
「すぐ逃げて」と言わなかった場合の責任追及が怖い、のです。
で、仮にあなたが冷静でも、早く逃げようとする人が後ろから押してきたら、どうしようもない、のです。
あるいは、渋滞に巻き込まれたら、どうしようもない、のです。
と言うか、遠くの震源地で、何事も無かったのにコレなのですから、本当に近くで何か起こったら?
な、の、に、日本では「何も無くて良かった」という話になっている、のです。
十把一絡げに「逃げて」とか「身を守れ」とか
抽象的、精神論的、無責任なのです。
言ってみれば「がんばれ!」みたいなことなのです。
繰り返しますが、本当にみんなで一斉に頑張ったら、こうなる、のです。
で、海のそばの人は、ともかく遠くではなくて、近くで助かるところ(その場所の把握、そこへの避難訓練が必要)なのです。
何故かって、こうなるから、です。
小さな幸せ
小さな幸せ
ほんの1ミリ、ほんの1ページ。
それが「出来た!」と日々、「小さな幸せ」を噛み締めると、後々、とんでもなく「大きな幸せ」が手に入ります。
一方、男性のギャンブルのように、いきなり「大きな幸せ」を得ようとする者は「小さな幸せ」も手に入らない、のです。
嘘だと思うなら、周りを見てください。
「大きな幸せ」を得たいなら「小さな幸せ」を
「小さな幸せ」を得たいなら「小さな幸せ」を
なのです。
これは、レンガ🧱の家で考えてみれば、当たり前、なのです。
現実は、どんなに願っても、
『アナと雪の女王』の魔法の築城みたいなことは、起こらない、のです。
地道にやらず、奇跡を期待する人には、何も起こらない、のです。
何も起こらないのは、自分が何も起こさないから、なのです。
漢字ドリルの100点は、自分が全て覚えた時に、起きる、のです。
ある日、才能が覚醒して、ではない、のです。
懸垂だって、ある日、才能が覚醒して出来るようになる、ではない、のです。
日々、1ミリ1ミリ進んで行くもの、なのです。
英単語も、日々、1単語、1単語、覚えていくもの、なのです。
東大生だって、一流アスリートだって、そうしている、のです。
本気を出せば一気に出来るとか、無い、のです。
10日分の筋トレを1日で出来たりしないのです。
東大生だって、一流アスリートだって、100日、1000日、かかっている、のです。
いつまでもこの現実を見ない者が、いつまでも妄想を見ている、のです。
すると脳内麻薬でラリってる気持ち良さはあっても、「小さな幸せ」も「大きな幸せ」も無い、のです。