協力的でもダメ 非協力的でもダメ | プラクティス

協力的でもダメ 非協力的でもダメ

協力的でもダメ 非協力的でもダメ



この話はとても難しく、おそらく通じないのですが、


協力的でもダメ 非協力的でもダメ


なのです。



たとえば、専門学校では、和気藹々で皆、全滅します。


何故かって、協力的だから、です。


フジテレビだって、それで壊滅的な大赤字です。


おかしくなったユーチューバも沢山います。


ですから、協力的でもダメなのです。



で、不良の学校やら、働かない社員のように、非協力的でもダメなのは当たり前です。



こうして見ると、善い人って、めちゃくちゃ難しいと思いませんか。


そもそもあなたは選べるのか、なのです。



おそらく現代人の理想はこんなのだと思われますが、これで強くなるでしょうか。



関係ない方向に行く確率100%じゃないですか。


弱くなる確率100%じゃないですか。


だとしたら、何をやっているのでしょうか。



職場で言うと、職場は、お喋りや恋愛、不倫しに行くところではない、のです。


学校だって、そう、なのです。



で、本当は、こんな人の方が善い訳です。



協力的ではなく、非協力的でもない人が。



でも、あなたは「協力的な人を選ぶ」のではないでしょうか。


甘い人ほど、そうなのです。


ダイエットで言うと、優しく言われて痩せない人が、優しく言う人を選んで、そして、何も効果がない、のです。


根腐れしているニートが、自分に協力的な人を選んだら、どうなるか、なのです。


ますます駄目になるのです。




で、現代ではなくなりましたが、そもそも稽古をつけるって、稽古をつける、のです。


ジムのパーソナルトレーニングとかとは違うのです、


そもそも何も解ってない素人が、自分のことを正しく言語化して伝えられると思う前提からして間違っている、のです。


たとえば医者がその人の言葉を真に受けるかなのです。


それはそれとして顔色を見たり、脈やら聴診器やら触診やらレントゲン、血液検査など、色々する、のです。



自分のことは自分が一番良く解ってる、なんて自惚れて妄想している人は、だったら血液検査しないで血液検査の数値を言ってみろ、なのです。


体重や体脂肪はわかるのか? なのです。


ちなみに、フィギュアスケートの羽生結弦選手は、日々の体重が自分で解る、のです。



で、自分のことは自分が一番良く解ってる、に、


協力的でもダメ 非協力的でもダメ


なのです。


悲劇のヒロインに、


協力的でもダメ 非協力的でもダメ


なのです。



こうして見ると、善い人って、めちゃくちゃ難しいし、選ぶ側が選べない、のです。


ケチな人が、ともかく安い店に行くようなもの、なのです。



今、吉本の学校が、スピリチュアル化、カルト宗教化している(当人達は気がついてない)のですが、それは、


ツマラナイことなのに受け入れる、


ツマラナイことなのに笑う、


ツマラナイことなのにリアクションをとる、


と言う、専門学校や大学サークルみたいなことを練習して楽しがってるから、なのです。



バカップルがイチャイチャしているのと変わらないのです。


で、1/10000のM-1 と言う宝くじをゲットする、が夢になっている、のです。



で、話を元に戻しますが、


協力的でもダメ 非協力的でもダメ


なのです。


こうして見ると、善い人なんて全然居ないし、さらにそれが良いと解る人も、全然居ない、のです。




(これが(補助輪、甘えに)協力的でも悲協力的でもない善い人)