空っぽの美術館のような人 | プラクティス

空っぽの美術館のような人

空っぽの美術館のような人



電卓って、いくら高性能でも、面白くはない、ですよね。




で、面白いには、アミューズメントと、インタレストがあって、インタレストとは、


その人の頭の中に美術館があるようなもの、なのです。



そして日本は、


空っぽの美術館のような人


ばかり、なのです。


何も無い、のです。


で、先に電卓の話をしましたが、電卓は、仕事は出来る訳です。


でも、面白くない、のです。



だから、外からお笑いやら、ゲームやら、酒やら、補充しているのではないでしょうか。



で、こうではなく、



こうなのです。



あなたは、上の細々とした物について、語りたいでしょうか。


この本人的には、一つ一つ思い入れがあるのでしょうが、これは(美術館が空っぽで)ゴミだらけ、と言うことなのです。



だから、男女も、セックスなのです。


あるいは、セックスなのです。


あるいは、一人で、動画、ゲームという自慰なのです。


いずれにしても、何も無い、のです。



頭の中(の美術館)は、空っぽのまま、なのです。



楽しい会話とは、イケメンか、可愛い娘か、あるいはお笑い、なのです。


アミューズメント、エンターテイメントなのです。





見てる視聴者側には、何も無い、のです。


ただ脳を無にしてニヤニヤ笑う、酒や大麻のよう、なのです。




でー


何か語るには、互いに必要、なのです。


これだって、男と女と互いに同じ趣味があるから、語れる、のです。



どちらにも無かったら、その話は弾まない、のです。


たとえば、同じゲーム♂、同じ推し♀があったら、楽しい話が出来るのです。


と言うことは、


空っぽの美術館のような人


が、いくら会っても無駄なのです。


何にも興味の無い人と、何にも興味の無い人が会っても、話は盛り上がらない、のです。


だから、見た目だけで興奮出来る見た目至上主義になる、のです。


あるいは、何も知らなくても笑える、お笑い、アニメ、ゲームとなる、のです。


酒は誰でも飲むと酔えるのと同じ、なのです。


スイーツで、脳内快楽物質を出すのと同じ、なのです。



で、空っぽは、空っぽのまま、なのです。



そして、ひたすら食欲、性欲を貪っている、のです。