自分の頑固を「壊す」のが「素直」 | プラクティス

自分の頑固を「壊す」のが「素直」

自分の頑固を「壊す」のが「素直」


前回、『百捨修行』とか言って、捨てることを始めてみたものの、要ると思っているからあるのであって、それを「要らないと思う」ことは心理的に抵抗があります。


よく、女性が洋服を捨てて洋服を買うみたいな無限ループを断捨離とか言ってますが、それは古い服と新しい服との「交換」であって、「要らないと思う」ことではありません。


それは、旦那や子供が、古いプラモデルを捨てて新しいプラモデルを買うくらい「なにそれ?」なのですが、女性のメチャクチャ頑固さによって自分のことは知覚出来ない、のです。


他の女性には「デブ」と言えても自分には言えない(ポチャくらい)なのです。



で、旦那や子供が、古いプラモデルを捨てて新しいプラモデルを買ったら、意味ないですよね?


ここで言っていることはそれで、世間の人が酔ってる断捨離ではない、のです。


それでもよくわからない人に説明すると、洋服やプラモデルを捨てて、グランドピアノを買うのは有りなのです。


ミニマリストみたいに手段が目的化して、そもかくスペースを広げるゲームとは違う、のです。


トライアスロンで言うなら、身軽なスイムが終わって、自転車になったら自転車を買え、なのです。



この時に、女性は仕事のものはメチャクチャケチるので、貧乏なまま、なのです。


もちろん、その子供も、そんな親を見習って…なのです。


無課金のゲームや動画でいつまでも楽しい、とかなのです。



で、それが頑固なのです。


頑固親父が頑固なのではなく、それが頑固なのです。





この右の頑固な女性なら、


頑固親父の方が遥かにマシなのです。


で、頑固な女性ほど、それは認めない、のです。


こんな男性くらい認めない、のです。





繰り返しますが、これなら頑固親父の方が100倍マシだし、


なんで自分が頑固じゃないと思ってんの?


なのです。



で、


自分の頑固を「壊す」のが「素直」


なのです。


赤ちゃんの時は、その壊すものが無いから素直なのです。


一方、大人はまず自分の作り上げた石頭を壊すことから、なのです。


中古の家で言うと、壊して更地にするのが素直なのです。



よって、「はこう思う」みたいなエゴが一番邪魔なのです。


そんなこと言ったら、私は寝てて良いと思う。




俺はこれで良いと思う。





30歳過ぎて、家に居て、なおかつオモチャのぬいぐるみに囲まれて良いと思う、なのです。


自分のせいで母親が泣いても知ったことではないで、良いと思う、なのです。




つまり、


頑固の自覚もないメチャ頑固なのです。


老人以上に、メチャ偏屈なこだわりがある、のです。



ここでは、それを捨てろって言っている、のです。


断捨離とか、そういう浅い話ではない、のです。


断捨離で偏屈な性格が直るかって話で、直るどころかさらに偏屈になっている、のです。

(潔癖症は偏屈と言えば伝わりますか?)



で、


自分の頑固を「壊す」のが「素直」


なのです。


学問でも、スポーツでも、素直な人が伸び、素直じゃなく自分のこれまでの経験を活かそうとかする人が、伸び悩む、のです。


つまり、悩みは頑固な自分が作っている、のです。

(デブからの糖尿病は、頑固な自分が作っている、と言えば解りますか?)


逆に言うと、頑固な自分を壊すことが、悩みを失くすこと、なのです。


頑固な自分を壊せば左だし、




頑固な自分を壊さなければ、一生、このまま、なのです。







で、後にツケの支払いに悩むでしょうが、それは自分の作ったもの(悩み)なのです。

若い頃に遊んだ婚活難民と同じ、なのです。

その時に、頑固な自分をしていれば…だったのです。