猫には餌をあげるべきだ=女に奢るべきだ
猫には餌をあげるべきだ=女に奢るべきだ
なんか日本人はどんどん単細胞化して、何か一つが正しいみたいになっています。
それを脳の硬直化と言って、悪い兆候なのです。
たとえば、
女に奢るべきだ
は、
猫には餌をあげるべきだ
と同じ、です。
そりゃ、猫はそれが良いに決まってますが、人間側で考えてみてください。
そんなの、有り得ない、のです。
猫好きな人だって、自分が好きな猫に餌をあげるのであって、猫には餌をあげるべきだから全ての猫に餌をあげている訳ではない、のです。
たとえば、女性だって奢られたくない女性だって居る訳で、その人達の意見はどうなるんだ、なのです。
つまり、答えは一つじゃない、一つじゃない、のです。
これは同一人物ですが、右ならディナーに行くけど、左ならカフェでお終いとか、当然、あって良い、のです。
で、差別だとか人を責めるかもしれませんが、いやいや同一人物ですから? なのです、
私の話で言うと、運動してる体育会系男子なら食べ放題に連れて行ってやりたいし、逆に太った運動しない女性なら、お茶だけで良い、のです。
なんでそれが十把一絡げの一律になるんだ? なのです。
単細胞の思考停止の馬鹿過ぎなのです。
猫には餌をあげるべきだ、と言うのと同じ、なのです。
いやいや糖尿病の猫に甘いものなんて食わせないだろ、なのです。
あるいは、あげても何も感謝せず、一言「ごちそうさま」とか言えば良いとか思ってる乞食にはあげる必要はない、のです。
男女を逆にすると、女性は男性にバレンタインデーではチョコを配るべきだ、と男性が言う感じ、なのです。
いやいやいや、みんなが何が正しいのか一つの答えを決めることではない、のです。
何であげたくない人にあげるんだ? なのです。
それと、
女に奢るべきだ
は同じ、なのです。
これは女ですが、この態度に出したい人いる? なのです。
これは女ですが、この人に出したい人いる? なのです。
女性だって、どっちの男性の料理作りたい? なのです。
それは、左の男性にも平等に料理を作るべきだ、と同じなのです。
その無茶苦茶が、まかり通っている、のです。
いやいやいや、相手によるし、態度にもよる、のです。
子供で言うと、すぐ飽きて放り投げる子供が、何か買ってと言ってきても、買わない、のです。
それは愛がないのではなく、お前がすぐ飽きて放り投げる子供だから、なのです。
こっちが駄目だみたいに話をすり替えて自己正当化するな、なのです。
それなのに、親は子供が望む物は何でも買ってあげるべきだ、みたいな
単細胞の思考停止の信念を持つことは、馬鹿過ぎなのです。
あるいは、給餌ロボットなのです。
愛ある動物園の飼育員は、そんなことしてない、のです。
この時は、このブランドの、この餌をあげておけば良い、みたいなのが思考停止なのです。
相手を何も見ていない、給餌ロボットなのです。
たとえば、何か頑張って成し遂げたなら、太っててもパフェでも良い、のです。
女性はとりあえずスタバに連れて行けば良いとか、馬鹿か、なのです。
あるいは、女性がダイエットしてるなら、悪い意味ではなく水で良い、のです。
「水飲んどけ」と言う男性が酷い、奢らない男性が悪い、冷たい、とか、そういう問題ではない、のです。
まともな親が、まともな料理を作ってるのに、駄菓子やハンバーガーが良いとか言う馬鹿ガキかよ、なのです。
そんなに食べたきゃそれは自分の小遣いで食え、なのです。
のび太がそうですが、愛があるのはママで、愛がなく自分のせいなのに人が悪いと責任転嫁して人を責めてるド腐れ外道人間はお前、なのです。
ドラちゃんとの同居も受け入れる柔軟性のあるママの「これのどこが鬼なんだ?」なのです。
でも、国民のほとんどが、のび太が正しい派なのです。
大人なのに、ピーターパン、アダルトチルドレンなのです。
そりゃ、結婚生活も、結婚も、あったものではない、のです。
これで、怒る女の方が悪い、となったら、
たまったもんではない、のです。
ばーか、ばーか、自分のことしか考えないクソだーか、なのです。
なのに、手前は賢いぐらい思っている、のです。
のび太で言うと、ママが悪い(鬼)なのです。
いやいやいや、悪いのは手前だろ、なのです。
このように、馬鹿な信念を持つと、馬鹿になってしまう、のです。








