あのさ ちゃんと教えといて
あのさ ちゃんと教えといて
これは全先生に言えることなのですが、
あんた(先生)の都合で「こっからここまでやったら良い」ではなくて、必要なことは(あるいは足りてないことは)ちゃんと教えて、それで教え、なのです。
これは分かりやすく中国語にしましたが、テキストをやればバッチリみたいな調子の良いことを言っておいて、現場で使えなかったら全く意味ない、のです。
なのに、日本では、そんな先生ばかり、なのです。
先生からして馬鹿なのです。
先生の都合で「こっからここまでやったらバッチリ」ではなくて、必要なことは(あるいは足りてないことは)
あのさ ちゃんと教えといて
なのです。
東大に入ったホリエモンは、学校や授業は本当に意味ないと言っていましたが、まさにそう、なのです。
それにピンと来ない人達は、学校で遊んでいたか、ただ試験で良い点数をとれば良いと思った人達なのです。
で、ホリエモンが言ってるのは、たとえば英語で良い点とっても、使えないんだったら意味ない、と言う当たり前のことなのですが、何故か日本人には通じない、のです。
使えないって、自分が使えない人になってしまう、のです。
自分が使えないし、人からも「あの人は使えない」のです。
それで良いなら良いですが、それで良いのでしょうか。
中間、期末テストではそれで良かった(褒められた)んだって、だから何なのでしょうか。
たとえば、武田塾という今人気のある塾は、授業をしない塾なのですが、それが何よりの証明なのです。
授業があって、やった気になる(実力がつくとは別の次元の満足)は、要らない、のです。
で、ここからが本日の本題で超重要なのですが、
全ての先生は、当人の都合で、勝手にここからここまでとか決めて、必要なこと(あるいは足りてないこと)をちゃんと教えてくれない、のです。
仮に、ちゃんと教わってたら、
優等生は皆、英語がペラペラになってないとオカシイのです。
だって、ちゃんと教えられた範囲を勉強したのですから。
そう思いませんか?
そうなってないと言うことは、テキストの範囲だけ教わった、ということなのです。
先生も出来ないか、先生は出来るけどテキスト外のことは金にならないから教えなかった(アルバイト、パートと同じの時間労働だった)のです。
さらに言うと、テキストが全て終わることなんてなくて、先生が当人的に頑張って、そこで時間が来たら、それで終了なのです。
日本史で言うと、近代史なんて皆、習ってない、のです。
でも、その先生は大反省することなく、その時間は授業をしたと思っている、のです。
つまり、ちゃんとやる優等生が仮に居たとしても、出来ない生徒が出来上がる、のです。
これって酷い話だと思いませんか。
それをホリエモンが言ってるのに、何故か反対派ばかり、なのです。
いやいやいやいや、親、大人からして頭がオカシイのです。
で、その理由も、自分がそう思うから、とかなのです。
専門学校の生徒や、予備校の生徒が、学校が楽しかったからそれで良かった、と言う感じ、なのです。
学生の本分が無くなっているのです。
本分とは、本来の勤め、です。
学校なら、本来は、授業時間で出来るだけやることではなくて、生徒(生徒側なら自分)が出来るようにすること、なのです。
部活で言うと、先生が「これだけやれば良い」とか言っておいて、試合でボロ負けしたら、100%先生が悪い、のです。
なのに、先生は自分は悪くないのです。
どえらい無責任なのです。
これが、学校のほとんどの先生だし、ほとんどの親だし、ほとんどの生徒なのです。
このガラの悪い先生の方が、よっぽど先生なのです。