出来ないことをしなさい
出来ないことをしなさい
なんか今では神社の力石が、神聖なるものとか嘘言われて動かせなくなってますが、当たり前ですが力石なんてもともと石です。
で、力石の凄いのは、この82キロの力石なんて、普通に考えたら持ち上がらない、のです。
でも、73歳のこの男性は、若者でも持ち上げられない石を持ち上げているのですが、
それは、
出来ないことをしたから
なのです。
出来ないことをしないで、毎日を頑張ってたら、
ここに行き着くことは無い、のです。
で、力石の凄いのは、始めはびくともしなくても、毎日動かそうとしていると、徐々に動かせるようになってくる、のです。
で、これが5キロの石を毎日持ち上げるをしても、そこには辿り着かない、のです。
なのに、賢い日本人がやってるのは、それ、なのです。
賢いのに、そこには辿り着かない、のです。
そこには辿り着かない、のに、賢い、のです。
英語を10年勉強して話せないけど、自分達は頑張ってるから正しい、のです。
万年赤字だけど、自分達は頑張ってるから正しい、のです。
自分の方法でずっと上手く行ってないけど、自分は頑張ってるから正しい、のです。
73歳のこの男性からすると、5キロのダンベルを毎日頑張って上げ下げしたとしても、82キロには辿り着かない、のです。
逆に言うと、気持ちや意志、心から負けていて、そもそも成功させようとしてない、のです。
相撲で言うと、全力でがっつり取り組まずに、逃げ回っている、のです。
あんな体の大きな人を押すなんて出来ない(だからやらない)ではなく、
出来る出来ないではなく、
出来ないことをしなさい
なのです。
でないと力はつかない(MAX パワーは上がらない)のです。
私で言うと、懸垂は出来ず、腕立て伏せなら出来るから腕立て伏せをしてもしょうがない(懸垂は死ぬまで出来るようにならない)のです。
で、懸垂は毎日やっても全然出来ないけど、それでも100日やってれば出来るようになってくる、のです。
だから神社にはお百度石もある、のです。
それを神聖な力と言っても良いし、人間の意志の力と言っても良いですが、それを顕現させるのは、出来ることの継続ではなく、出来ないことをする継続なのです。
受験で言うと、解ける問題をいくら解いたって意味ない、のです。
そして現代人はその意味ないことを…なのです。
