50円の愛 5分の愛 も無い
50円の愛 5分の愛 も無い
今年も、バレンタインデーが終わりました。
で、家族やら周りにあげなかった人は、
50円の愛 5分の愛 も無い
のです。
で、あげなくて良いから、そんな自分は認めろ、なのです。
で、認めなくたって事実そう、なのです。
お金を50円でも出したくないし、
時間を5分でも使いたくない、
という意思表示なのです。
バレンタインデーがどうのこうの、ではなく、他の日だって、あげない、のです。
何故かって、当人にその気持ちが無いから、なのです。
何かこう花ではなく皿に水をあげる感じ、なのです。
お金は無い人だって、時間はあるでしょう。
そう、そのスマホを見てる時間です。
その5分の愛も無いのです。
5分の愛も無いなら、正真正銘の「愛が無い」のです。
時間や金がもったいないって、その時間と金で何するかって、動画やゲームなのです。
自分はバイトしているから良い(自分は仕事しているから良い)、自分は高学歴だから良い、自分は子供だから良い、自分は女だから良い、自分は男だから良い、自分は自分だから良い、
そうやって自分は「恩を仇で(愛を無愛で)返しても良い」なのです。
自分はしなくて良い、のです。
理由は、自分がそう思うから、なのです。
これが、何千万人もの日本人なのです。
なお、土日は家族サービスの日だからするとか、家事を分担するとか、それも愛が無い(気持ちが無い)のです。
それは、仮面夫婦でも出来る、のです。
義理チョコのように義務とか社会通念としてやるのは違うのです。
そうではなく、お世話になってる人にも返さない(愛を無愛で返す)のが問題なのです。
敬老の日とか、母の日とか、特別な日にも返さないような人は、普通の日はなおさら返さない、のです。
1日のたった5分で良いから、やれ、なのです。
(それだって受けた愛(恩)に比べれば微々たるものなのです)






