美男美女じゃないリア充 | プラクティス

美男美女じゃないリア充

美男美女じゃないリア充





リア充は、リア充であって、


とか、とか、関係ない、のです。


たとえば、将棋部とか、ちゃんと将棋に向き合ってれば、他人に暗い、暗そうと言われても、関係なく、リアルは充実する、のです。


将棋で、美男かどうかとか、どうでも良い、のです。


逆に言うと、顔に関係なく友達が出来る、のです。



それが、何故か、陰キャ、陽キャ、みたいな分け方で考えて、なおかつ、陽キャがリア充みたいな話になっている、のです。


いやいや、インドア系だって、リア充は沢山ある、のです。


リアルが充実すれば、リア充なのです。


自分がちゃんと打ち込めばリア充なのです。



逆に言うと、美男美女でもテキトーに付き合ってれば、傍目からはリア充でも、リア充ではない、のです。


顔と金があって、リアルが充実してない人なんて、いっぱい居る、のです。



これで言うと、スキーが超上手くてリアルが充実してない人も居れば、スキーが超下手でもリアルが充実している人も居る、のです。



繰り返しますが、顔の偏差値、金の量、技術の高さ、の先にリア充があるのではない、のです。


だったら、その全てが無い動物や子供の毎日は充実しないってことになる、のです。




で、それは全く逆で、そういうことに気をとられているから、リアルが充実しない、楽しく無い、のです。


メイクが崩れるのを気にして、滑らない人みたいなこと、なのです。




肉体美があるから、水泳の技術があるから、あるいはそれがあると楽しくなるではないのです。


モテるにしたって、むしろこっち(今あるもので楽しむ人)の方が、モテる、のです。


つまりは、リアルが充実する、のです。



太ってる人が運動したってリア充。


出来ないことが出来るようになったってリア充。


リアルを充実させたらリア充なのです。


で、その時に、自分の顔や、自分の所持金なんて、関係ない、のです。


リアルを充実させたらリア充なのです。



打ち込んだらリア充、テキトーにやるなら何やったってリア充にはならない、のです。



上と下は同一人物で、上が金を持てばリア充ではない、のです。


もちろん、上の顔が良ければリア充でもない、のです。


でも、日本人が思っているのは、そういうこと(今のリアルが充実しないのはそれが無いからだ)なのです。




いやいや、そういう人は、あっても充実しない、のです。


自分が何かのせいにして全力を出してないから充実しないのです。




現代人が、リアルの幸せを捨ててまで、手に入れたかったもの、金。