徳川家康の勝利条件 | プラクティス

徳川家康の勝利条件

徳川家康の勝利条件


豊臣秀吉より長生きする。



これは簡単と言えば簡単ですし、難しいと言えば難しい。


このように勝利条件が、戦闘じゃないこともある、のです。



仮に恋の戦いだとすると、本当に好きな人が居るならば、伴侶が死ぬまで待つ、もある、のです。


で、そこまでじゃないなら、そこまで好きじゃない、のです。


徳川家康で言うと、地位も得たし、領地も得たし、戦闘ダルイし、年だからもう良いか、みたいなことなのです。


今の日本人は、もうそんな感じ、です。



だいたいは、欲しい度がそもそも足りない、のです。


そんなに欲しくないのです。


だから、手に入らないし、手に入らなくても嘆くことは無い、のです。



たとえば、明智光秀は、憎き織田信長を倒したのですから、それで本望なのです。


寺の変なのです。



あなたの勝利は何ですか。


それがい人は「目の前の敵を倒すこと」になっているのです。


今や街にそういう人が溢れているのをあなたも感じているハズです。


家でも、会社でも、そういうこと、なのです。


自分がいゾンビみたいな生き物が、それをする、のです。



で、もう一度、聞きますが、


あなたの勝利は何ですか。


それがい人は「目の前の敵を倒すこと」になっているのです。


ニートを見ても、ヤンキーを見ても、ヒステリーを見ても、それは明らかなのです。


犬の勝利は「目の前の敵に噛みつくこと」なのです。



ゲーマーなら「目の前の敵を倒すこと」で、ネット弁慶なら「目の前の敵を倒すこと」で、老害なら「目の前の敵を倒すこと」なのです。


意識を失った自分がいゾンビみたいな生き物が、それをする、のです。



夫婦喧嘩で言うと、夫婦の勝利を決めて無いから、それをする、のです。


で、互いに「目の前の敵を倒すこと」で、バトっている、のです。


それして、それを達成出来たとして、だから何なんだよ、なのです。


むかつく上司を殴ったら、自分が刑務所に行くだけ、なのです。



自分の勝利を決めない末路は、そんなの、なのです。


親やら、上司やら、妻、旦那を倒しても意味ない、のです。


ニートが、親をころしたら勝利ではなくバッドエンドしかない、のです。


もちろん、上司を刺しても、妻、旦那を倒しても意味ない、のです。


さらに、会社を辞めても、そこに勝利は無い、のです。

もちろん、学校を辞めても、そこに勝利は無い、のです。

自分の勝利を決めない末路は、そんなの、なのです。


簡単に言うと、自分の勝利を決めない先に、バッドエンドが待ってる、のです。


で、もう一度、聞きますが、


あなたの勝利は何ですか。


夫婦にも無いでしょう。


仕事にも無いでしょう。


勉強にも無いでしょう。


運動にも無いでしょう。


そういうこと、なのです。



二人の勝利



勝利は、相手を倒すじゃない、のです。


仮に、あなたが女性なら、


私の勝利はスイーツを食べることではなくスリムな自分になること、


私の勝利はスイーツを食べることではなくスリムな自分になること、


私の勝利はスイーツを食べることではなくスリムな自分になること、


と、鏡を見ながら自分の脳に刷り込んでいくこと、なのです。


少なくても、「目の前の敵を倒すこと」ではない、のです。


それすると、ニュースに出てくるような人になれる、のです。


ニートやヤンキー、老害や犯罪者を見ればわかりますが、


「目の前の敵を倒す」と、勝利どころか、バッドエンドなのです。



日本人がストレスフルなのは、ストレスが多いからではなく、自分の勝利を決めてないから、なのです。


自分のやることに集中すれば、満員電車のノイズだって、消える、のです。


それをしない人が、騒音だらけのうるさい世界に居る、のです。




女性は料理で「あー」となるかもしれませんが、一流のシェフは、何十人前も作って静か、なのです。


騒音(雑念)は自分が作っている、のです。


自分のやることに集中すれば、満員電車のノイズだって、消える、のです。



自分のするべきことは、周りの雑音に腹を立てること、ではない、のです。


でも現代はそんな人だらけ、なのです。