傀儡 他人と自堕落と日和見の言いなり
傀儡 他人と自堕落と日和見の言いなり
先生が言うからやる、良いところに行けるからやる、面倒くさいからやらない。
自分の意思とは、先生が言わなくてもやる、良いところに行けなくてもやる、面倒くさくてもやる。
もちろん、上司が言わなくても、親が言わなくても、推しが言わなくても、やるが意思なのです。
「私はこうだと思います」と言うのが意思ではないのです。
婚活にしても、転職活動にしても、良いところに行けるからやるは、いくら夢見て頑張っていても駄目なのです。
何故なら、良いところに行けるからという自分に都合の良い条件がついているから、なのです。
それは、褒められるからやる、みたいなことなのです。
ボランティアだと、今の自分でも、褒められるからやる、のです。
大して可愛くない子でも、オタクサークルに入ればそこで姫になれる、と同じ、なのです。
婚活にしても、自分が変わらず、如何に自分が良い思いをするか、なのです。
それって、ものすごい巧妙に自他を騙している、のです。
たとえば、職場が、と言ってる人が、職場をなくして何が出来る、なのです。
男が、と言ってる人が、男をなくして何が出来る、なのです。
これを先生とか、上司に置き換えても本当は同じ、なのです。
そもそも、これから世の中は厳しくなるのに、
今より楽になるんだったらやる、という態度がオカシイのです。
もちろん、今より楽なところに行く、もオカシイのです。
自分が無い自堕落なのです。
良い大学、良い企業に行く、国家公務員になる、とかと同じ、なのです。
日和見で、日の当たるところに行く、ということなのです。
オタクサークルの姫みたいなこと、なのです。
これは、青山学院大学の駅伝の監督です。
彼は、日陰に行って、日向にした人なのです。
そして、そこには「自分は駅伝が好き」とか、「日本一にしたい」とか、明確な意思がある、のです。
これと、高い給料が保証されているところにテストをパスして入りたい、は、全然違う、のです。
いくらそこで仲良くやっていきたい、としても、全然違う、のです。
当人が日向に行きたいのはわかりますが、当人の意思を全く感じられない、のです。
が、同じような人達の中では、明確な意思があるとか真逆の審査になって、面接をパスしてしまう、のです。
いや、だから、そんな人が駅伝の監督になったらどうなります? なのです。
逆に言うと、これを、こうする、なんて自分の意思は全く無い、のです。
ただただ事なかれ主義でマイルドに行って、その場が心地よく過ごせれば、それで良い、のです。
オタクサークルの姫が、実は周りのことなんて何も考えてない(自分のことしか考えてない)のと同じ、なのです。
一方で、他所では青山学院大学の駅伝の監督みたいな人が率いて、結果を出していく、のです。
それと、結果を出さなくても、自分が心地良いから良いんだ、は違うのです。
学校で言うと、授業はするけど、偏差値を1も上げない先生みたいなことなのです。
と言うか、そもそも自分のことしか考えてない、のです。
松本人志が、吉本をどうするか、
中居正広が、後輩達をどうするか、
それを考えず、ただ自分のポジションとその周りが良ければ良い、としたのと同じ、なのです。
これが駅伝の監督なら、100年あっても結果なんか出ないのですが、自分のせいにはしない、のです。
と言うか、そもそも自分のことしか考えてない、のです。
自らの心地良さや保身のために、波風が立たなければ良い、のです。
平成がそうなら、令和はさらにそう、なのです。
これが良い大学出て、良い企業に入ったとして、
何か意思を感じますか?
そういうこと、なのです。
先生が言うからやる、上司が言うからやる、良いところに行けるからやる、でなかったらやらない、のです。
大学で言うと、単位に関係なくても、就職に有利じゃなくても、やる、が本当なのですが、全然居ない、のです。
コスパとか、ダイパとか、そういう言葉が流行るのが、そういうこと、なのです。
必要単位数をコスパ、ダイパ良く、効率的に必要最低限にしてとる、のが賢いという、超弩級の馬鹿者が、令和の普通、今後の日本人なのです。
(合格点60点のものは、100点の勉強をするのは必要ない(無駄)とか言って、切り捨てる、とこうなる、のです)




