自分の体が動かないのが問題
自分の体が動かないのが問題
ボクシングで世界一強い井上尚弥選手という人が居ます。
その「世界一強い男」でも、試合の前日は不安で「眠れない」そうです。
と言うことは、仮に我々が世界一のメンタルになっても、試合の前日は不安で「眠れない」そうです。
それが寝れてるのは、試合から逃げてるから、なのです。
幸せとか、平和ボケとかは、そういうもの、なのです。
逃げれば、寝られる、のです。
自分を変えることは、世間や歌などで言うほど簡単ではありません。
この世に、ナンパ出来る男が何人いる、でしょうか。
ナンパに成功しなくて良いから、ナンパ出来る男が、です。
ほぼ居ないでしょう。
これは、何を意味するかと言うと、欲しいものがあっても行動に移せない、と言うことなのです。
こんなこと言うと、ナンパはどうのこうの話を逸らす男が山ほど出て来るのですが、それが「自分を変えられない」ということなのです。
話をわかりやすく男女を入れ替えましょう。
ある女性が、自分の超タイプの男性に自分から話しかけることが出来なかった、としましょう。
こんなこと良くある、でしょう。
これが、欲しいものがあっても行動に移せない、と言うことなのです。
ナンパがどうのこうの、ではなくて、
心のことを言っている、のです。
で、欲しいものがあっても行動に移せないって、かなり大問題だと思いませんか。
しかし、皆、自らを自己正当化するばかりで、問題にしない、のです。
そして、何でもかんでも、それを繰り返した結果、自分が何をしたかったのか、わからなくなる、のです。
で、簡単に手に入る、スイーツやら、ゲーム、動画に手を出して、現実逃避する、のです。
それをしてれば、嫌なことは忘れられる、のです。
ど、同時に大事なことも忘れている、のです。
宿題しないで遊んでいる子供と同じ、なのです。
当たり前ですが、
欲しいものがあっても行動に移せない
という人が居た場合、それを何とかしないと、どうしようもありません。
しかし、現実に自分を変えることは、世間や歌などで言うほど簡単ではない、のです。
それは、自転車の乗れない自分から、自転車の乗れる自分くらいの違和感がある、のです。
あるいは、右利きの人が、左手を使うくらいの違和感がある、のです。
そして、この違和感を乗り越えないと、自分は変わらない、のです。
異性に話しかける、で言うと、
お店の店員(異性)に話しかける、が違和感なく出来るまで練習が必要なのです。
そして、それが出来たらお店の店員(異性)と世間話をする、が違和感なく出来るまで練習が必要なのです。
で、それをずっとやってると、意識しなくても、それが出来るようになる、のです。
これが、自分が変わった、と言うことなのです。
で、これらも出来ないのに、知らない女性と道端で話が盛り上がるなんて、
いきなり自転車に乗って転ぶようなもの、なのです。
バスケで言うと、ドリブルが出来ないのに、勇気を出せばドリブルが出来ると思って突っ込むようなもの、なのです。
これが、得点(お金、異性)が欲しくても得られない、と言うことなのです。
欲しいものを目の前にしても、
自分の体が動かない、のです。
原因が、自分の体が動かない、なのに、何かのせいにしている、のです。
シュートを打って入らないのではなく、シュートを打ってない、のです。
で、ナンパをシュートと置き換えると、
打ったからと言って入るとは限らない、とか、
打ったら入る保証があるのか、とか、
打って必ず入る保証があるならやる、とか、
打って入らなかったら恥ずかしい、とか、
もー、山ほどの「だからやらなくて良い」という自己正当化が返ってくる、のです。
で、しばらくすると得点(お金、異性)が欲しい、とか言い出す、のです。
そして、目の前にチャンスが現れると、あれこれ言い訳して、得点をとりに行かない、のです。
つまり、欲しいものを目の前にしても、
自分の体が動かない、のです。
で、原因が、自分の体が動かない、なのに、何かのせいにしている、のです。
チャンスが無かった、みたいな話にすり替える、のです。
たとえば、セールスのチャンスなんて、SNS に投稿するとか、今現在からいつでもある、のです。
でも、チャンスや金が欲しいと言いながら、それはしない、のです。
誰がしないって、自分がしない、のです。
結婚したいとか思って、具体的なことを何もしないで婚期を逃した女性と同じ、なのです。
自分の体が動かないのが問題なのに、それは問題としない、のです。
そして、何をしているかと言うと、簡単に手に入る、スイーツやら、ゲーム、動画に手を出して、現実逃避している、のです。
つまりは、麻痺の人が、まず麻痺を治してからでない動けないように、自分の体が動かない人は、自分の体を動かすことから始めないといけない、のです。
こう書くと当たり前のようですが、その当たり前をみんなやらない、のです。
何故かって、五体満足で、どうでも良いことには自由に手足が動くから、なのです。
そして、肝心な時には動かない、のです。
これが、得点(お金、異性)が欲しくても得られない、と言うことなのです。
他人事だと思って、非モテを見てみてください。
ここで言っていることが本当だと解るハズです。
彼らは、チャンスの時に体が動かない、のです。
もちろん、大きな契約を取りに行く時にも、体が動かない、のです。
な、の、に、彼らは、
自分の体が動かないことを問題にしない、のです。
そして、何度も同じことを繰り返す、のです。
そして、すやすや寝ている、のです。
井上尚弥が大事な試合でそんなことしたら、夜も眠れないのに、すやすや寝て幸せ、なのです。
美男美女とのせっかくのチャンスを逃しても、運や縁が無かったことにして、自分の不甲斐なさのせいにしないで、すやすや寝ている、のです。
なんでも、かんでも、その程度なのです。
当然、高得点(お金、異性)は得られないけど、そんな自分の不甲斐なさに涙することなく、運やら縁が無かったことにして、すやすや寝て幸せ、なのです。
それでも現代は、スマホがあるから、皆、幸せ、なのです。
で、そんなことしてると、自分が何が欲しいか、何がやりたいか解らなくなって、病んで死ぬ、のです。
すなわち、精神病も、当人が作り出している、のです。
シュートを打たないサッカーを永遠とやってたら、過労で死ぬだけ、なのです。
でも、今の人の希望は公務員で、恋愛も消えて、日本人はシュートを打たない方に打たない方に流れている、のです。
だ、か、ら、シュートを打たないサッカーを永遠とやってたら、過労で死ぬだけ、なのです。
「いい加減疲れた」とか、「何のためにやってるかわからない」とか、お決まりの文句を言い出して、そりゃ自分がそうしたんだから、そうなる、のです。
なのに、シュートを打たない自分のせいにはしない、のです。
自分の体が動かないのを問題にしない、のです。
女性からの男性への「デートの誘い」で言うと「出来ない」の一言で終わり、なのです。
いやいや「出来ない」って、好きなんじゃないの、なのです。
で、そういうことをしていくと、どんどんオカシクなっていく、のです。
男性が、気になる女性へのアプローチを「出来ません」で終えるようなもの、なのです。
そんなこと言ってると、あなたの人生、終わりだけど、その前に、
自分の体が動かないことを問題にしてみたら?
なのです。
シュートを決めれば、このように元気になる、のです。
一方、今の人は、シュートを打たないで、疲れるから出来るだけ動かず省エネで生きる、という授業中の帰宅部のサッカーみたいなことをしている、のです。
それ、永遠やってて、楽しくない、燃えない、いい加減疲れてきた、みたいなのは、何やってんの、なのです。
シュートしない(得点にならない)サッカーをして楽しい訳ないし、上手く行くこともない、のです。
でも、当人達は自分が正しいとして譲らない、のです。
非モテで言うと、行動出来ない自分は問題としない、のです。
ニートで言うと、行動出来ない自分は問題としない、のです。
貧乏人で言うと、行動出来ない自分は問題としない、のです。
そして、何をしているかと言うと、簡単に手に入る、スイーツやら、ゲーム、動画に手を出して、現実逃避している、のです。
自分の体が動かないことは問題としない、のです。
人生の最後まで、人のせいってことなのです。