あなたの良かったは合っているか | プラクティス

あなたの良かったは合っているか

あなたの良かったは合っているか


ある女性に、不幸中の幸い、があったとします。


たとえば、財布を落として無事に返ってきた、としましょう。


すると「届けてくれた人に感謝」して、喜んだりするでしょう。



でも、これ、合ってますか?


残念ながら、これは合ってない、のです。


何故なら落としているから、です。



ちなみに、ホストとかはコレを意識的に使ってきます。


いわゆる不良が子犬に優しくしていると良い人みたいな話です。


んな訳ないでしょう、人間には害を与えているのですから。


良い人とは、人間にも良くて、犬にも良い人を言う、のです。


どこの世界に、人間には悪いけど、犬には良いから良い人と言う人が居るでしょうか。



そう、日本にはいくらでも居る、のです。


とち狂っちゃっている、のです。



もう一度、財布の話に戻します。


落としたのが、財布ではなくグラスだったらどうでしょうか。


落としたけど良かった、なんてことは無い、のです。


あるとしたら、自分が強引にそういう話にしている、のです。


で、こういう人は恐ろしい、のです。


自分は「あの不良は良い人」だと思ったから良い人、みたいな話を作るから、です。



事実ではなく、自分のその時の感情が全て、なのです。


さらに言うと、言うことがコロコロ変わっていくから、なのです。



たとえば、若者で言うと、仕事をすぐ辞めるそうですが、辞めても良い、のです。


辞めても良いけど、自分自身が言うことがコロコロ変わるのは何なんだ、なのです。


子供が「このオモチャが良い」とか言っておいて、買ってしばらくしたら「ツマンナイ」と、そのオモチャがツマラナイせいにするのと同じ、なのです。


いやいや、それでずっと遊ぶとか言ってたのはお前だろって話なのです。


このように当人の中で何も矛盾が無いのが「矛盾」なのです。


仕事に限らず、恋愛、結婚でも同じこと、です。


やっぱり、やっぱりで、何がやっぱりなんだよっていうお天気屋、逃げ屋なのです。



しかも、そんな自分は正しいというオマケ付き、なのです。


いやいや100%間違ってるだろ、なのです。



たとえば、あなたがサッカーでミスしたけど、試合には勝ったとします。


すると、あなたは「やった」と喜ぶかもしれません。


しかし、何が「やった」なのでしょうか。


これは大谷翔平で浮かれる日本人と全く同じです。


あるいは、推しの応援に浮かれる日本人と全く同じです。


あるいは、ゲームでレアキャラを引いて喜ぶ日本人と全く同じです。



あなた自身は何でも無いよね? なのです。


でも、暴走族のように、これだけ多勢に無勢になってしまうと、「やった」の方が正しい、みたいな話になる、のです。


パチンコ仲間が「777」を讃えあう(トータルでマイナス)みたいなことなのです。



「自分のその時の感情が全て」なのです。


しかもそれが歪んで作られている、のです。


不良が子犬に優しくしているのを見て、本当の彼を知っているのは私しか居ない、と、本当どころか偽物の現実を自分に刷り込み、幻覚を見ているのと同じ、なのです。


あるいは、婚活女性がスペックで決めれば大丈夫と、幻覚を見ているのと同じ、なのです。



で、良かったって、何が良かったのか、なのです。



あなたの良かったは合っているか


正解を言うと、間違ってる、のです。



この女性で言うと、3年間「良かった」ことは沢山あったのでしょうが、


何が良かったのか、のです。


食欲を満たし、性欲も満たしたかもしれないけど、良くはなってない、のです。


財布で言うと、落とさないのが良い、のです。


落としたら悪い、のです。


あなたが他人に財布を預けて、返して貰おうと思ったら紛失していて、どうやら何処かに落としていたらしく、幸運なことにお巡りさんが届けに来てくれて、お金等も全て無事だったとしても、


あなたはその人の過失を忘れない、のです。


この考え方、汚くないですか?


何故なら、自分の場合は無かった(良かった)ことにするから、です。


で、他人が出て来て良かったですねーとか喜んでいたら「ふざけんなよ」とか思うのです。


そうやって他人には思うのに、自分の場合は良かったことに書き換える、のです。


さー、これが上司や部下だったら、どうでしょうか。


無事に済んで嬉しい、はあるけど、良かったことではない、のです。



良かったって、テストで100点を取ったとか、売上目標を達成したとか、そういうことなのです。


マイナスがゼロになって、何が良かったのか、なのです。


狂ってんのか? なのです。


でも、そういう人だらけになり、その根拠も、今の自分がそう思うからという感情、なのです。


そんなの、この人だと思って結婚して、この人じゃないと離婚するのと同じ、なのです。


このオモチャだと思って買って、このオモチャじゃないと放り投げる子供と同じ、なのです。


それ自体がどうのこうの、ではなくて、自分自身に疑問を待てよ、なのです。


言い方を変えると、前頭葉を使え、大脳、動物脳だけが動いている、のです。



最近の犯罪が、動物化しているのも、そういうことなのです。


猪が畑を荒らすのと全く同じ、なのです。


太った人間が、太った豚のようにブヒブヒ(良い良い)言ってるのと同じ、なのです。


美味しいのはわかりますが、良くは無い、のです。


飲み会で「うぇーい」としても、良くは無い、のです。



子供が家でずっとゲームして「良い」と思ってるのと、その母親が太っていて「良い」と思っているのと、その親にしてその子で、同じ、なのです。


な、に、も、良くない、のです。


どちらも、自分を疑わない、のです。


とても悪い意味で、プーチンのように自分を信じている、のです。




楽しいんでしょうけど、良くは無い、のです。


最新投稿、最新ゲームで良かった、ではない、のです。


酒飲んで、スイーツ食って、良かった、でもない、のです。



こうして、どんどん前頭葉が後退していっている、のです。

(ガキやら耄碌が増えている、のです)


良いことってオナニー(快感)ではなくて、良いことをしたら良い、なのです。


多くの女性で言ったら、食事制限でもして運動したら、良い、なのです。


でなきゃ老人ホームで言うことを聞かない老女と同じ、なのです。


多くの男性で言ったら、遊んでないで、勉強したら、良い、なのです。


最新ゲームが最高で良いとか、アホか、なのです。


自慰的に「キモチィィ」のでしょうが、良くは無い、のです。


タバコを最高に良いとか言って吸ってるのと同じ、なのです。


良い悪いを判断する脳、前頭葉は無いの? なのです。




自慰でシコシコは気持ち良いのでしょうが、良くは無い、のです。



豚に真珠、馬の耳に念仏も、そういうこと、なのです。