△結果が全て ⚪︎客観が現実 | プラクティス

△結果が全て ⚪︎客観が現実

△結果が全て ⚪︎客観が現実


よくプロの世界では「結果が全て」と言われます。


すると世間の人達は「厳しい」とか個人の感想を言います。


それは何故でしょうか。


それは個人の妄想の方が正しくあって欲しいから(主観や妄想が強いから)なのです。



たとえば、あなたが車で人を轢いた、とします。


すると、あなたは「結果が全て」を全力で否定する、のです。



で、これまでゴールド免許だった、とか言って自己正当化を計る、のです。


現実より、自分の妄想の方が正しい、とする、のです。


でも、いくらそうしたところで、自分の妄想で現実がひっくり返ったりしない、のです。


「結果が全て」なのです。


と言うか、現実が現実で、客観が現実なのです。


主観が現実ではない、のです。



あなただって、あなたが車で人を轢いたじゃなかったら、解るのです。


何故ならその場合は、自動的に客観視になるから、です。


轢いた人が「自分は轢いてない」といくら否定しようが、「お前が轢いたんだよ」なのです。


何故なら、それしかないから、です。


「厳しい」とかではなく、それしかないから、です。


問題は、あなたが主体でも同じように客観視出来るか、なのです。



それが出来ないと、「白馬に乗った王子様が来るハズ」と勝手に思い続けて、そうならない婚期が過ぎた女性のようになってしまう、のです。


主観が強い(欲に目が眩む)と、客観視が出来ない(=現実が見えない)になる、のです。


その場合、主観が全てになるので、「結果が全て」が「厳しい」と感じる、のです。


この場合、ムチで打たれた訳でもないのに、なぜ「厳しい」と感じるかと言うと、自分の妄想世界を否定されたから、なのです。


その時に、さらに自分の妄想世界を強化して、現実、客観を否定すると、自分の妄想を信じて、婚期が過ぎた女性のようになってしまう、のです。


これで言うと「自分の妄想の方が正しい」とか「こんなハズでは」とか、「自分は被害者だ」とかなんとかして、自分の妄想の方が正しいと自己正当化する、のです。



でも、当たり前ですが、「結果が全て」「現実が全て」で、


それを受け入れないって、自分の妄想世界に住んでいる、のです。


痴呆にしても、ニートにしても、自閉症にしても、裸の王様にしても、ゲーマーにしても、婚期を逃した女性にしても、メンヘラにしても、ギャンブラーにしても、闇バイトにしても、こどおじ、こどおばにしても、そういうことなのです。