金持ち喧嘩せず 積み込み喧嘩する | プラクティス

金持ち喧嘩せず 積み込み喧嘩する

金持ち喧嘩せず 積み込み喧嘩する


この右のキッチンを見てください。


普通に「金持ち」の家のキッチンです。


で、この左の場合、金持ち喧嘩せずが成り立ちません、



つまり、金持ち喧嘩せずは、金持ち喧嘩せずではなく、


お金を物に変えない金持ちが喧嘩しない、のです。



もっと言うと、物が多い、詰め込み過ぎが、喧嘩の種なのです。


この左は、喧嘩があちらこちらに散らばっている、のです。



要らないものがあるとか、使わないものがあるとか、出したままのものがあるとか、


どれもこれも、喧嘩なのです。



で、本当の金持ちの家に物が無い、のは、


お金を争いの種に変換してないから、なのです。


逆に言うと、お金を争いの種に変換しまくれば、それは争いが起きる、のです。



たとえば、これをあなたではなく、あなたの娘の部屋だと思って見てください。



で、お金無いとか、お金貸してとか言ってきたら、どうでしょうか。



このように、お金を争いの種に変換しまくっているのが、日本人なのです。


で、人に何か言われたくないから、ぼっちで居るか、何も言わせないよう威圧している、のです。



やっていることを解りやすく極端に言うと、


10万円分の着ない服を買ったけど文句言うな


10万円分の読まない本を買ったけど文句言うな


左の状態だけど文句言うな



と言うこと、なのです。


いやいやいやいや、喧嘩の種を撒いてるのはお前だろ、なのです。


それに文句を言う奴が悪いって、チンピラの考え方なのです。




大谷翔平の通訳だった水原一平で言うと、


争いの種に金を使わなかったら、金も平和もあった、のです。



で、これも、これに金を使わなかったら、金も平和もあった、のです。


これを見れば解るように、お金を使った割に、そのお金だけ全然大事にしてない、のです。



このキッチンで言うと、毎日の料理が美味しくなった訳でもないのに、


金が減り、争いは増え、作業効率は下がっている、のです。



つまりは、不幸に貢献している物々、なのです。



でも、目の前の欲に目が眩んで、さらにそんな自分を自己正当化するので、何も解ってない、のです。


確実に不幸になっているのに、幸せになるために金を使った(そして買ってしまった以上、自分の判断を間違っていたことにはしたくないから、死ぬまでその我を押し通す)のです。


それで、実家の片付けに、数十万円かかる、なんて今や普通にあること、なのです。



この左から右になった女性が、自分を不幸にするためにお金を使った、とは認めず、改め無い、のと同じ、なのです。



ネトゲ廃人(ネットゲームのし過ぎで廃人のようになった人)が、ゲームが自分を救ってくれた、とか言うようなもの、なのです。



でも、その手前の人なんて、いくらでも居ませんか?


そして、金が無いとか言いながら、争いの種に金を使っていませんか。



最初は右の状態だったのですから、


争いの種に金を使ったのは明白なのです。


そうやって家中に撒菱を撒くような


そんな人間、良い人間でしょうか。



仮に、一人暮らしで誰にも文句を言われなくても、この先の自分に未来があると思いますか。



金が減り、余計な物は増え、快適さが下がり、作業効率も下がっている。


お金を持っても、自分が不幸になる方に喜んで金を使う人に、その先の未来があると思いますか。



良く解らなかったら、パチンコカスとか、こどおじゲーマーとか、百貫デブとか、アル中とか、見てみてください。


一瞬だけ幸せを感じるために買う買い物依存症、一瞬だけ幸せを感じるために食う甘い物依存症など、自分が不幸になる方に喜んで金を使う人に、その先の未来があると思いますか。



女性の8割が理解しませんが、この右の女性に必要な食べ物なんて無い、のです。


何が良いかな、ではなくて、全て要らない、のです。


しばらくは一日一食でも良いくらい、なのです。



食べ物だと、健康を盾に屁理屈で張り合ってくる(これまでの肥満を続ける方が体に悪いですよね?)ので、キッチンで説明すると、


このキッチンに、何が良いかな、ではなくて、全て要らない、のです。



その居ると思っていたものが、幸せになるものではなく、不幸になるものだった、のです。


これで言うと、脂肪、糖質は、幸せになるものではなく、不幸になるものだった、のです。


あなたは、糖尿病で、失明や足切断、人工透析にならないと解らない人ですか?



家族との団欒(楽しい幸せな時間)を犠牲にして、それを実現させると謳うものに寝て見る夢を見て(唆されて)、それ(幸せ)を失うって、ヤク中みたいなもの、なのです。



右のままなら、争いもなく、金もあった、のです。


狭いと言うストレスも無かったし、作業しにくいというストレスも無かった、のです。


もちろん「これ、いるいらない?」とかの不毛な時間も、意味なく置いておくスペースも必要なかった、のです。



ホテルのような広々とした部屋を夢見て、そこなら快適に過ごせる、争いも無いのに、


そこを物置きにしているのは、そこに居る人、なのです。