観ることが自在な人のロールモデル | プラクティス

観ることが自在な人のロールモデル

観ることが自在な人のロールモデル



観自在菩薩とは、観ることが自在な人です。


たとえば「泥棒にも三分の理」と言われますが、それはそれなりの言い分がある、のです。


あと日本みたいに一度でも過ちを犯したら、社会全体からハブられる国全体が村社会ってどうなの? と言うことでもあります。



戦争にしたって、夫婦喧嘩にしたって、双方の言い分があり、どちらだけが一方的に100%正しいことは無い、のです。


こうして様々な角度から考察して出てくるのが、慈悲なのです。


裁判で言うと、情状酌量なのです。

(もちろん、様々な角度から見てこいつが100%悪いわ、と言うケースもあります)




先日、某アナウンサーが、男性は体臭を何もケアしなくても許される風潮に異議を唱えましたが、


女性同士だったらそれが普通で、皆やってる、のです。


女性で悪臭を放つ人って、知的障害者レベルなのです。


な、の、に、女性の家事のように、女性だけがやるのが当たり前で、男性はやらなくて「良い」って、オカシイでしょう、


同じ人間で、臭いという実害が出てるのに、なのです。



で、これに異を唱える男性は、女性が男性ぐらい臭い世界に異世界転生したら良い、のです。


女性が、男性ぐらい家事をしない世界に異世界転生したら良い、のです。


それが「良い」か? なのです。


そもそも日本では長年、タバコの匂いにしても、酒の匂いにしても、女性は男性の我儘に一方的に耐えてきた、のです。


それが良いと言うなら、立場が逆転しても良いよな? お前が良いって言ったんだから、なのです。



と、このように見てみると、上の幾多の男性も、今回のアナウンサーも、周りの人より自分優先で、思いやりが無い、のです。


つまり、傍若無人は慈悲がない、のです。




日本では仏教が形骸化し、宗教だけが残り、スピリチュアルのようなご利益を得るもの、となりました。


が、本来の観自在は、人間はそうなれるというロールモデルなのです。


だから、あなたがなろうと思わないと、何のご利益も無い、のです。


で、多くの日本人を見れば解るように、全てが他人事で、ご利益を得ようとしても、なろうとしてない、のです。


すると、ご利益は何も無い、のです。



と言うか、自分さえ良ければ良いという点で、例のアナウンサーと同じ、なのです。


自分の利益ばかり求めるエロ親父が、自分のことを最低だと思わない、のと同じ、なのです。


観自在ではない、のです。


観不自在なのです。


傍若無人は、女性の幸せを思ってない、それより自分の利益ばかりを優先する、のです。


だから、モテないし、女性からクソと言われる、のです。


もちろん、これを男女逆にしても同じ、なのです。



ただ、それを世界に発信すると、発信した方が叩かれる、のです。


握手会に来る人がいくら気持ち悪くても言ってはいけない風潮があるのと一緒なのです。


すると、それらが野放しにされ、ますます酷くなる責任は誰もとらない、のです。



ちなみに、過去の文明は、こうして滅びた、のです。


現代の国も、こうして滅びている、のです。


と言うことは日本も…なのです。



そもそも、お金は回っていても、お互いを思いやってない家族は滅びる前でも滅びている、のです。


その家族(男女)の総和が国なのですから、そういうこと、なのです。



現代人の幸せは、独り身なら自分、そうでないなら家族さえ良ければ良いから、幸せ、なのです。


そして、自分を中心にした一方的な物の見方しかしない、普通の国民により、国は滅びる、のです。



本来は、今回のアナウンサーの発言を景気に、男性も周りに気を使った方が世の中は良くなった、のです。


体臭がどうこうというより、傍若無人で、傍に人無きがごとしのデリカシーの無さが問題なのです。


人様ではなく、俺様、お姫様だらけになったら、それはもう滅びるに決まっている、のです。


お前、何様だよ、なのです。