一人の人は独善
一人の人は独善
私はツアーガイドの国家資格を持っています。
なのでたまにツアーをしたりするのですが、その時に人は全く同じ物を見ても、違う感想を待ちます。
たとえば、一人ではなく誰かと映画を見に行ったら、自分とは全然違うところを見てたりする、のです。
それにより、独善や独りよがりが解消される、のです。
なるほど、そういう見方もあるのか、なのです。
あるいは、そういう見方をするのか、等、勉強になる、のです。
そうすることで、物事を多角的に見られるようになる、のです。
しかし、一人の人は一人の見方しか出来ない、のです。
オリンピックで言うと、解説の話を聞かないで見るようなもの、なのです。
たとえばオリンピックでは、決勝より準決勝、準決勝より準準決勝の採点の方がシビアなのです。
これはM-1 と同じ理屈なのです。
で、こういうのは自分一人で気がつけるものではない、のです。
昨今の日本の男女は、エロいことをするために付き合う、付き合わないとなっているのですが、
馬鹿すぎる、エロ過ぎる、のです。
欧米なら、男女の前に個人として、どう見るか、どう考えるか、という意見交換を普通にする、のです。
映画館はセックスの前に行くところ、ではないし、居酒屋やレストランはセックスの前に行くところ、でもない、のです。
でも日本の男女ではほぼ間違いなく、そういう話になっている、のです。
異性として好きじゃないと一緒に行かない、とかなのです。
だから、馬鹿が馬鹿(の独りよがり)のまま、温存される、のです。
自分の意見はこう、と、自分の考えに凝り固まっている、のです。
だから、それを、独りよがりと言うのです。
特に日本の男女は、母親や父親の意見も聞けないアダルトチルドレンばかり、なのです。
大人同士の話し合いが、全く出来ない、のです。
いつまでも子供なのです。
たとえば、そんなんでは、こうはなれない、のです。
50歳
女性から見た男性という視点を取り入れないと、こうはならない(子供おじさんになる)のです。
ニートも独善的、ホームレスも独善的、酔っ払いも独善的、ギャンブラーも独善的で、独善的ってろくなもんじゃない、のです。
60歳
また女性だって、一人だと、毛の処理もしないし、化粧もしないし、腹の肉はつき放題だし、どんどん動物のようになっていく、のです。
つまり、一人の人は自分の考えに凝り固まるしかなく、獣にもなるし、危険なのです。

