目先の不幸を避ける現代人 | プラクティス

目先の不幸を避ける現代人

目先の不幸を避ける現代人



よし、よし、よく泣いた。


その辺の大人なんか、負けてもヘラヘラして、学びなく、復習、反省もせず寝てるぞ。



現代人は、不幸がイヤだから、すぐのハッピーを求め、不幸は避けるんだけど、その先には何も無い、のです。


食う→ハッピー、寝る→ハッピー、ヤル→ハッピー、なのです。




帰宅部が、練習は不幸だから避ける、と同じ、なのです。


大人という帰宅部が、練習は不幸だから避ける、と同じ、なのです。


不幸が無い幸せが良い、のてす。


だから、ニートやら、底辺は、


食う→ハッピー、寝る→ハッピー、(ゲーム、セックス、ギャンブル)ヤル→ハッピー、なのです。


その辺の大きくなった大人(オッサン、ババア)は、食べることしか楽しみがない、のです。



だからそれ、脳がバカになってんじゃん、なのです。



失敗で言うと、失敗の克服からしか成功は無いのに、失敗を不幸として避けている、のです。



将棋の天才でも、75回負けて(失敗して)乗り越えているのに、現代人は


目先の不幸を避けた0敗で、さらにヘラヘラしている、のです。



大学受験や告白で言うと、


自分はしてないから落ちてない(負けてない)


という理屈なのです。


はいはい、それなら、不合格の涙も、失恋の涙も、ありませんね、それで自分は失敗してないと思いたいんでしょう、あーそうですか、良かったですね、なのです。



天才でも、この経験は避けて通れないのに、これを不幸と決めつけて避けるんですね、なのです。



失敗を乗り越えてにするのではなく、ただただ失敗から逃げ回っている、のです。


そんな自分は正しい、そんな生き方がクレバーなんて、周りから見たら「ふーん、臆病者が」なのです。



大学受験で言うと、たとえ落ちても、受験しなかった人より、受験して失敗?(不幸になった?) 人の方が良い、のです。


で、ほとんどが大した努力をしなかっただけ、なのです。


1日16時間やったけど駄目だったとか、そんなのほぼ無い、のです。



あと、告白にしても、受験勉強の1/10の準備もせずに望む舐め具合なのですから、断られても当然なのです。


左で振られても、相手のせいでも、自分の不幸でもなく、ただただ自分が舐めてた、やってこなかっただけ、なのです。



失敗は、自分の不足が明確になっただけ、なのです。


そして、それを避けるって、そういうことなのです。



あなたが左だとすると、あなたが何もしなくてももう既に失敗している、のです。


ただ、第三者から明確にされないから、失敗してないと思っているだけ、なのです。


偏差値40で言うと、テストを受けなくても偏差値40なのです。


男女で言うと、告白しなくても「無し」は「無し」なのです。



なのに、自分は賢いとか、自分は「あり」とか、本人の妄想の世界に閉じこもっている、のです。


で、何かしなければ、それが嘘だとバレない=失敗しない、というだけ、なのです。



目先の不幸を避ける現代人


は、自分の馬鹿さ、弱さから逃げる一般人なのです。



水着審査が無ければ、左がバレない(失敗しない)と思っている、のです。




このテストが無ければ、失敗しない(バレない)と思っている、のです。



逆に言うと、バレるから逃げる、のです。


自分がバレる不幸から逃げている、のです。



今の自分じゃ、こうなる。それが不幸だから、避ける、のです。



で、無かったことにして、ヘラヘラしている大人達と比べて、この少年の素晴らしいこと。



現代人に必要なのは、


デブとか、バカとか、低所得とか、


そんな自分を誤魔化さず、


乗り越えること、なのです。



くれぐれも、ヘラヘラして気にしてない風に自己正当化すること、ではないのです。


いやいや、気にしてないなら水着になれるだろ、なのです。



口で周りを言いくるめようとするな、誤魔化すな、事実を変えるな、なのです。


で、一時、恥をかいた(不幸だと悲劇のヒロインになった)としても、


それは、自分が、やっと自分を知っただけ、なのです。


それを知らなくても、お前はそれだった、のです。



偏差値40が自分のことを馬鹿だと思ってなかった、みたいなことなのです。


自分が馬鹿だと思ってなくたって、馬鹿だった、のです。


自分がデブだと思ってなくたって、周りから見たらデブだったし、それを心の奥底では知っていたからこそ、隠していた、のです。



つまり、周りにはもうバレてるのに、自分は隠していた、のです。


この左が、職場の人に水着を見られても、



「まー、そうだよね」なのです。


むしろ、それで、恥かいた(失敗した)と思える神経がどうかしている、のです。



でー、童貞を隠してヘラヘラしている男性が居たとして、それはバレてる、のです。


カツラぐらい、バレてる、のです。


で、何が駄目かって、そうやって隠せてないのに、隠すことで、なおかつ、バレてるのにバレたら恥とか失敗とか思うことなのです。


バレてるのに。


何と言うか、これで弱そうなんて思う人は居ない、のです。



同じように、これで強そうと思う人も居ない、のです。




でー、この下が、体育祭は不幸だから避けて、マラソン大会は不幸だから避けて、その辺で女性がヤンキーに絡まれていても避けて、


で、「自分は良い人と見られたい」って…なのです。


この左が、太ってるのに痩せてるように見られたい、ぐらい…なのです。




それ、このオッサンが、痩せてるように見られたいとヘラヘラしているのと同じ、なのです。




なんか、その魂胆が、気持ち悪くないですか?



太ってるのが駄目なのではなく、自分が駄目なのに、それを見ずに、自分を良く見せようとする、その魂胆が、です。


そこらのナンパ男が、自分を良く見せようとする感じ。


で、体重計に乗るのは不幸、体重を知られるのも不幸、とかって、その不幸は不幸じゃないし(単に事実)、その不幸は自分が作った、のです。


それがバレてないと思っている状態が幸せ、それがバレたら不幸、そういう話になっている、のです。




この人で言うと、自分の脳内では無敵、という自分だけの世界に閉じこもれば幸せ、それが「そうじゃない」と現実を突きつけられたら不幸、みたいなことなのです。


で、その不幸を避け続ける限り、こうはならなかった、のです。




女性で言うと、体重計に乗ることは、不幸ではなく、幸せへの一歩だった、のです。


それを不幸だと決めつけて逃げている限り、現実で幸せになることは無い、のです。


で、それって自作自演で自分でやったのに、皆、自分は不幸と悲劇のヒロインになっている、のです。



マラソン大会で言うと、超カッコ悪くボロボロになって完走したタイムから、あなたの快進撃が始まる、のです。