思いが伝えられなかった | プラクティス

思いが伝えられなかった

思いが伝えられなかった



たとえば、これ、メチャ美味しいのですが、これを見て「いいね」とか「良いですね」を貰っても、特に嬉しくありません。


しかし、ブログでも、YouTubeでも、結局、そういうことになってしまいます。


何と言うか、そういう承認、賞賛、体験してない共感が欲しいのではない、のです。



なのに現代では、体験してないのに共感という、上辺の賛同みたいなのが多い、のです。


たとえば、この画像が良かった場合、その共感は成り立ってしまう、のです。



バーチャルの共感は、こちらだって体験してないので、「いいね」とか「良いですね」が成り立つのです。


アニメとか、漫画とかも、そうでしょう。


なので、そういう「バーチャル共感癖」みたいなのがついているのですが、私が伝えたいのはそういうことではない、のです。



これで言うと、あなたも食べてみて、「美味しい」となって、はじめて共感なのです。


頭だけで、これは美味しいと理屈で解られても、違う、のです。


そういう言葉だけの共感、バーチャル共感は、違う、のです。



それは、どこまでも「対岸の火事」なのです。



熱いですよねー、美味しいですよねー、貧しいですよねー、なのです。


天気で言うと、


炎天下の中でリアルに会った二人が、「暑いですよねー」と言うのは、共感なのですが、


一人がクーラーの効いた部屋に居て、もう一人が炎天下の中にいて、ネットを通じて「暑いですよねー」とやりとりした場合、それは上の共感とは何か違う、のです。



たとえば一人がクーラーの効いた部屋から一日中出て来ない場合、なんかわかりあっているようで、わかりあってない。


ズレて、すれ違っている、のです。


それが、令和5年の夏の間中だったら、双方がわかりあってる、会話が出来てると、


たとえ思っても、令和5年の夏をわかりあってないし、会話も出来てなかった、のです。



別に、悪気はなくても、


わかってるつもり、出来てるつもり、だった、のです。


これ、夏期講習で言うと、お金と時間をかけて、意味なかった、ということなのです。


ちゃんと意識があって、勉強だってやった(つもり)で、わかってなかった、勘違いしてた、ということなのです。



で、現代人を見ると、どう見てもコレなのです。



このブログで言うと、あなたがこういう風に世の中のズレをじられた時に、私の思いが伝わった、ということなのです。



これで言うと、多くの人が、何も解らずに死んでいった、のです。


それで、学歴がいくら高くても、いくら外国語が話せても、お金を沢山持っていても、SNS のフォロワーが多くても、だから何なんだ、なのです。



もちろん、私の思いも伝わらなかった、のです。




世界の貧困だって、ロシアとウクライナだって、日本国内の貧困だって、別れた男女だって、女性の悪口トークだって、家庭での父親、旦那イジメだって、親が大変なのにゲームしてる子だって、兄弟、姉妹間の争いだって、ネットの炎上だって、こういうこと、なのです。


結構、みんな笑顔なのです。




キャッキャなのか、ニヤニヤなのか、wwだか知りませんが、


日本人って、そんなことしている余裕があるんでしたっけ?


コロナが収まって、やること、それでしたっけ。


夏休みで言うと、勉強も、運動もせず、バカみたいに笑えたら良い、になっている、のです。



それは、夏期講習で言うと、バカみたいじゃなくて、正真正銘のバカなのです。


想像力、共感力、ゼロなのです。


なのに、自分に対して、他人に対して、嘲力はぐんぐん上がっている、のです。


たとえ、誰も傷つけない笑いで笑っていたとしても、夏休みに運動も勉強もせず笑って過ごした人のように、そんなことしている場合ではない、のです。


それで、どんどん笑えない状態になっているのが、どこかの島国の人々なのです。