ネタ と シタ
ネタ と シタ
料理人において、重要なのは、材料と自分の舌です。
しかし、あまり重要視されていません。
でも、どちらも絶望的だったら、絶望的なのです。
たとえば、現代は、舌が壊れている人が沢山います。
マクドナルドが最高と言う人に、美味しいハンバーグは作れない、でしょう。
おそらくネタも、ともかく安いもの、を使うでしょう。
そして、舌もネタも、上がっていかない、のです。
すると、お店をやってたら潰れる、のです。
さらに、不健康にもなっていく、のです。
ネタ と シタ
で、物理空間の話なら、それでも良くても、情報空間で、それだとどうでしょう。
たとえば、お笑い芸人が居るとして、
そのネタが、クソつまらない、とします。
でも、それを披露すると言うことは、当人はそれが面白いと思ってやっている、のです。
つまり、自分の舌がオカシイ、のです。
こいつで言うと、こいつだけ面白い、のです。
こいつで言うと、こいつだけ正しい、のです。
つまり、脳が壊れている、のです。
お笑い芸人で言うと、周りが笑わないことが、面白い、のです。
日常で言うと、こういうこと、です。
ネタ(環境、材料)は良いのに、舌(感覚)が、壊れている、のです。
感覚が壊れた人が、ネタ(環境、材料)を使って作るものは、マズイもの、になる、のです。
たとえばこの二人が高学歴で、知識があれば良い、ではない、のです。
H したい、付き合いたい、結婚したい時だけ、こうではありませんでした、としても、それは感覚が正常ということには、ならない、のです。
なのに、日本人は、舌に関して何も考えてない、のです。
お金とか顔とか、物理空間のことばかりで、それがあってもそれを台無しにする「感覚」を軽視している、のです。
たとえば、これは、多分に美的感覚の話なのです。
で、感覚って、右だとダメだよね、という感覚なのです。
だから、若い時に左だからって、その感覚の持ち主という訳ではない、のです。
さらに、右を正当化し始めたら、これと同じ、なのです。
それで、好かれるテクニックとか、阿呆か、なのです。
そうではなく、自分の舌(感覚)を疑うところから、なのです。
方向音痴が、自分を信じたら、路頭に迷う、のです。
逆に言うと、路頭に迷っているのに、自分を信じている人が沢山いる、のです。
それは、この女性が、自分を疑わず、自分を信じて、自分らしく生きる、こと、なのです。
それで駄目になったのに、よく信じられるな、なのです。
こいつが、自分を信じる、と同じ、なのです。







