話の通じない大人がほとんど
話の通じない大人がほとんど
たとえば、あなたがこれを見て「こうだ」と思ったとします。
そしたらもう、こう、なのです。
何をどう考えても、こう、なのです。
そして、そんな自分は正しくて、間違ってない、のです。
間違ってると思ってない、のですから、間違いを認めないし、改めない、のです。
そして、そんな人に、関わろうとする人は居ないので、馬鹿は馬鹿のまま馬鹿を認めないで死んでいく、のです。
あなたに、誤りを指摘してくれる人が、誰か居ますか?
ほとんどが一人も居ないのです。
だから、自分の思い込みが強い大人ばかりになって、
話の通じない大人がほとんど
なのです。
仮に、パンティだと思っている人同士がいくら話が通じても、いくら解り合えたと思っても、意味なく空虚なのです。
ほとんどの人は、自分が正しいと思っていることを疑いも精査もしない、のです。
私がこうだと思ったからこう、そう教えられたからそう、なのです。
それで、どんなに飲み会や女子会で盛り上がっても、何もわかりあってないし、空虚なのです。


