地頭ではなく答えの先 | プラクティス

地頭ではなく答えの先

地頭ではなく答えの先


これは「あなたが理解出来るもの」に置き換えて、感じて見てください。


よく地頭を良くするとか言われますが、そんなのありません。


何故かと言うと、「考える」の先に「考察する」とかがあるから、です。


縄跳びの先に、二重跳びがあるからです。


短音の先に、和音があるからです。



空手、柔道で言うと、地と言うことでしょうが、それは二段、三段と先に行けば、地も二段、三段になる、のです。

で、ボクシングのように体重にシビアになって考えてみると、筋トレのように筋肉だけ大きくするのは、悪いことなのです。

もちろん、地の体を大きくした方がパワーは出ますが、たとえばボディビルダーは12ラウンドとか、戦えない、のです。

サッカーの90分だって無理なのです。

相撲レスラーにれば最強みたいな、そんな単純な話ではない、のです。


地頭ではなく答えの先

ピアノで考えて見てください。

今のの曲を弾けるようになれば、地頭、地ともに上がっている、のです。

確かに、保育士のピアノ試験対策に、ある一曲しか弾けない状態は、地頭、地が低い? とも言えますが、それだって、さらに難易度の高い曲、

すなわち、今のの曲を弾けるようになれば、地頭、地ともに上がる、のです。


逆に、なにか地頭、地が良くなることをすると、難しい曲も初見で弾けるようになる、訳がない、のです。

そんな夢のようなものは無いのです。

何かを売り込みたい人が、そういうキャッチフレーズでってるだけなのです。


英語の長文読解で言うと、長文を読み込まなきゃ読解力はつかない、のです。

逆に言うと、長文が読める地頭、地がつくと、短文は簡単に読める、という当たり前のことなのです。


日本人の地頭が悪いって、

単にやってこなかっただけ

なのです。

サッカーだけやってきた人が、野球が下手みたいな話なのです。

で、野球も上手い人は、サッカー以外に野球もやった経験があるだけ、なのです。

それを地頭、地が良いって、違くないですか?


本当に、本当に、バスケを一度もやったことなくて、最初からメチャ上手かったら地頭、地と言えますが、そんなことない、のです。

なんかやったことがあるし、齧ったことがある、のです。


こうしてみると、色々な経験をしておくと、地頭、地が良いと言われるのでしょうが、それは、それぞれの経験値が高い、ということなのです。

たとえば、だからって空手、柔道で、すぐ黒帯をとれるかって、全然なのです。

バスケで言うと、ど素人から見たら齧ったことがある人がすごい上手に見える、くらいのことなのです。

スキー教室で言うと、初回の参加者から見る、二回目の参加したみたいなことなのです。

わかります?

それを「地頭、地が良い」と言う? という話なのです。


たとえば、小学生まで頭が良かった、中学生まで頭が良かった、その後は勉強せず高卒の子って、

地頭、地は良かったのでしょうか?

それと、高校時代に猛勉強して大学に入った子と、どちらが地頭、地が良いでしょう?


確かに同じ偏差値だったら、地頭、地という他の経験の差が出てきます。

でも、それは他の経験の差で、地は関係ない、のです。

勉強しかしてこなかった人と、勉強と趣味で料理を作ってきた人が居て、何か料理をすることになった時に、後者を見た人が地頭、地が良いとか言ってるだけ、なのです。

野球だけやってきた人と、野球とバスケをやってきた人とで、バスケをやることになった時に、後者を見た人が地頭、地が良いとか言ってるだけ、なのです。

いやいや、同じ時期に同じ時間練習したら、前者だってそれくらい出来る、のです。

つまり、地じゃない、のです。

他なのです。

他の経験の差なのです。


で、それに慢心して、そこで止まった人は、

地頭ではなく答えの先

に行った人に、あっさり劣る、あっさり負ける、のです。

つまり、地じゃない、のです。

小学生まで頭が良かった、中学生まで頭が良かった、みたいなことなのです。


猫ふんじゃった、が小学生の時に弾けた、みたいな感じで、それをもって才能とか地頭とか、全く関係ない、のです。


地頭ではなく答えの先

仮に、あなたの地頭を良くするとするならば、あなたの限界を超えること、なのです。

1キロも歩けない人は、1キロ歩くところから。

1キロも走れない人は、1キロ走るところから。

ともかく意味のないのは、

老人ホームの余興のようなことをすること

です。

仮に、あなたが老人だとしても、負荷げてくしか良くならない、のです。

頭を良くする体操で、大学に合格した人は一人も居ない、のです。

偏差値なんて1も上がらないのです。

漢字は漢字を書かないと覚えられない、のです。

だから、頭を良くしたいと思ったら、知らない漢字でも書いたら良いのです。

少なくとも、それをすれば漢字1つ覚えられる、のです。

でも、頭を良くする体操では、それすらも無い、のです。


ともかく、なんかそういう方法がある、んじゃなくて、

あなたが10メートルしか走れないのなら、その10メートルを11メートルにしていくことが、唯一の方法、なのです。

ウサギとカメの、ウサギの寝て見る夢みたいなことは、本当にしないこと、なのです。

急に才能が覚醒して100メートルを10秒台で走れるとか、絶対に無い、のです。

同じように、一気に金持ち、みたいなことも無い、のです。

同じように、あなたが10メートルしか走れないのに地が上がるとか、1000の英単語を知らないのに、地頭が上がるとか、んなもん無い、のです。

逆に、100メートル走れるようになったら、地が上がってますし、1000の英単語を覚えたら地頭が上がってる、のです。


頭でも、体でも、限界を超えることでしか上がらない、のです。

何か楽な方法を繰り返すと限界側が上がることは無いのです。

楽な時点で、限界を超えてない、のです。

10メートルしか走れない人が、走らないで体力つけよう、みたいなことなのです。

新しい単語を覚えないで英文をすらすら読めるようになりたい、みたいなウサギの寝て見る夢みたいなことなのです。


楽は、限界を超える(成長)の逆なのです。

上り坂で、地頭、地は上がるのに、下り坂に行っている、のです。

すなわち、地頭、地が衰えている、のです。


こうしてみると、

老人ホームのお遊戯と、若者のゲーム、中年のパチンコは、すんごい似ている、のです。


瞳あけたまま 腐食してゆく身体