思うばかりで何もしないと○○になる
思うばかりで何もしないとデブになる。


「悪は「善が何もしない」とはびこる」の続き。
多くの女性にとって、「脂肪」は「悪」でしょう。
では、その「脂肪」は、なぜ付くのでしょうか。
それは、当人が思うばかりで行動しないから、です。
悪は「善が何もしない」とはびこります。
そうやって悪がはびこると、善までも悪に染まって、悪たる脂肪を善が増やそうとします。
いくら「やせる気持ち」があって、「脂肪」を憎んでも、実行しなければ、デブになる。
それどころか、時が経つにつれ、善から悪に寝返って、自ら「脂肪」を増やそうとするのです。

この女性には、まだ良心が残っていました。
今の時代、良心が残っている人は、本当に稀です。

その良心とは、良い心、良くなりたいという心、
悪いことではなく、善いことをしようとする心の働きです。
殺人事件で言えば、「最近ストレスが溜まっていたから人に毒を盛った」と開き直るか、
「いくらストレスが溜まっていたからと言って人に毒を盛るのは良くないこと」と善悪をわきまえ、正しい行動がとれるかどうか、です。
前者が良心がなく、後者はまだ良心が残っています。
以上を踏まえて、あなたがこの体重70キロの女性だったら、どうでしょう。

「最近ストレスが溜まっていたから好きなものを好きなだけ食べる」と日々、開き直るか、
「いくらストレスが溜まっていたからと言って暴飲暴食は良くないこと」と善悪をわきまえ、正しい行動をとるか。
さぁ、どちらになるか。
体重70キロの女性だったとして、です。
おそらく、十中八九、前者のように「悪(脂肪)」の「味方」をするようになるでしょう。
今の時代、良心が残っている人は、本当に稀だからです。
前者のように良心がなく、良心がないから胸も痛まず、そのまま生活習慣病になって死んでいってしまう人が、本当に、冗談ではなく、現実にいくらでもいます。
これは、結果的に「最近ストレスが溜まっていたから人(自分)に毒を盛った」という殺人事件と同じだと思いませんか。

確かに、この女性は、「食べたい」というのが「やりたいこと」だったかもしれません。
女性だったらスイーツ、男性だったらラーメン、男女問わず酒、みたいなものです。
良心をなくしてしまった人は、食欲、性欲、睡眠欲が、自分のやりたいことだと思っています。
お金を望むのも、結婚を望むのも、不労所得に目が眩むのも、一生、食うに困らない食欲、性欲、睡眠欲を際限なく満たしたいから、です。
では、仮に、この女性が宝くじに当たって、好きなものを好きなだけ食べて、好きな時に寝て、好きな時に遊びに行けたら、この女性は幸せになるでしょうか。

きっとこの女性は、そうなったら「これがやりたいこと」「幸せ」だと思うでしょう。
でも、いくらそう当人が信じ込んでも、それは幻。
悪銭身につかず。
生活習慣病が加速するだけ。
一生を棒に振るだけ、です。
なぜ、一生を棒に振るだけだったと言えるかと言えば、彼女が本当に欲しかったのは、食欲、性欲、睡眠欲を極限まで満たすことではなく、むしろその逆。
寝食を忘れて、なりたい自分になること、だったからです。
お金で買えない。
食欲、性欲、睡眠欲を極限まで満たしたいと望んでいると、いつまで経っても得られない。
そういうものだったから、です。

この女性は、上のメガネの女性と同一人物です。
「どうせ駄目に決まってる」と、やる前から諦めずに半年。
「食事制限だけ」みたいな姑息な手段を用いず、
バストアップ、ヒップアップ、ウエスト引き締めの筋トレをちゃんとして、
70キロから50キロへのダイエットを達成した姿です。
良心があって、良心に素直になると、人間はここまで変われるのです。
彼女が本当に欲しかったのは、食べ物ではなく、理想の自分。
彼女が本当にやりたかったことは、暴飲暴食ではなく、トレーニングだったのです。
でも、70キロの時の自分は、これをまったく逆だと思っていたのです。
欲しいものは、理想の自分ではなく、食べ物。
やりたかったことは、トレーニングではなく、暴飲暴食。
そのために金が欲しい、みたいな。
本気でそう思っていた。
つまり、「頭がどうかしていた」のです。
脳が「悪」に染まっていたから、「善い」(食べずに脂肪を減らす)ことではなく、「悪い」(食べて脂肪を増やす)ことが「やりたいこと」だと思っていたのです。
ウイルスに感染したパソコンがおかしな挙動をするように、「悪」ウイルスに汚染された脳は、ウイルスがますます広がるように自らしてしまうのです。
自分の脳が「悪」ウイルスに汚染されていることに、自分の力で気がつけた彼女は、本当に幸せ者です。
もし、この姿になることなく、

この姿のまま諦めて一生を終えてしまったとしたら。

たとえ、はした金を得て、日々、ラーメンやスイーツを食べられた一生だったとしても、それは幸せでしょうか。
何と言うか、まるで、運命の人がすぐそばに居たのに、どうでも良い事に夢中で、運命の人に逢うこともないまま、亡くなってしまった人のようです。
途方もなく、もったいないと思いませんか。
ただ、これは、彼女がなりたい自分になったから、わかったことで、70キロの時は、やりたいことは食べること、欲しいものはそのための金、と、お金を出して太ることがしたいと思っていたのです。
思うばかりで何もしない期間が長過ぎ、良心のともしびが消えてしまうと、胸に手をあててみても、何も感じず、やりたいことがやりたくなく、やりたくないことがやりたいことに、見えてしまうのです。

あなたは、半年後、どちらになりたいでしょうか。
何もしないと一生、左。
半年やると、右です。
良心があれば、いま「やりたくない」と思っていることが、実は「やりたい」ことだったと、気がつけるかもしれません。
良心がまだ残っていれば…。



「悪は「善が何もしない」とはびこる」の続き。
多くの女性にとって、「脂肪」は「悪」でしょう。
では、その「脂肪」は、なぜ付くのでしょうか。
それは、当人が思うばかりで行動しないから、です。
悪は「善が何もしない」とはびこります。
そうやって悪がはびこると、善までも悪に染まって、悪たる脂肪を善が増やそうとします。
いくら「やせる気持ち」があって、「脂肪」を憎んでも、実行しなければ、デブになる。
それどころか、時が経つにつれ、善から悪に寝返って、自ら「脂肪」を増やそうとするのです。

この女性には、まだ良心が残っていました。
今の時代、良心が残っている人は、本当に稀です。

その良心とは、良い心、良くなりたいという心、
悪いことではなく、善いことをしようとする心の働きです。
殺人事件で言えば、「最近ストレスが溜まっていたから人に毒を盛った」と開き直るか、
「いくらストレスが溜まっていたからと言って人に毒を盛るのは良くないこと」と善悪をわきまえ、正しい行動がとれるかどうか、です。
前者が良心がなく、後者はまだ良心が残っています。
以上を踏まえて、あなたがこの体重70キロの女性だったら、どうでしょう。

「最近ストレスが溜まっていたから好きなものを好きなだけ食べる」と日々、開き直るか、
「いくらストレスが溜まっていたからと言って暴飲暴食は良くないこと」と善悪をわきまえ、正しい行動をとるか。
さぁ、どちらになるか。
体重70キロの女性だったとして、です。
おそらく、十中八九、前者のように「悪(脂肪)」の「味方」をするようになるでしょう。
今の時代、良心が残っている人は、本当に稀だからです。
前者のように良心がなく、良心がないから胸も痛まず、そのまま生活習慣病になって死んでいってしまう人が、本当に、冗談ではなく、現実にいくらでもいます。
これは、結果的に「最近ストレスが溜まっていたから人(自分)に毒を盛った」という殺人事件と同じだと思いませんか。

確かに、この女性は、「食べたい」というのが「やりたいこと」だったかもしれません。
女性だったらスイーツ、男性だったらラーメン、男女問わず酒、みたいなものです。
良心をなくしてしまった人は、食欲、性欲、睡眠欲が、自分のやりたいことだと思っています。
お金を望むのも、結婚を望むのも、不労所得に目が眩むのも、一生、食うに困らない食欲、性欲、睡眠欲を際限なく満たしたいから、です。
では、仮に、この女性が宝くじに当たって、好きなものを好きなだけ食べて、好きな時に寝て、好きな時に遊びに行けたら、この女性は幸せになるでしょうか。

きっとこの女性は、そうなったら「これがやりたいこと」「幸せ」だと思うでしょう。
でも、いくらそう当人が信じ込んでも、それは幻。
悪銭身につかず。
生活習慣病が加速するだけ。
一生を棒に振るだけ、です。
なぜ、一生を棒に振るだけだったと言えるかと言えば、彼女が本当に欲しかったのは、食欲、性欲、睡眠欲を極限まで満たすことではなく、むしろその逆。
寝食を忘れて、なりたい自分になること、だったからです。
お金で買えない。
食欲、性欲、睡眠欲を極限まで満たしたいと望んでいると、いつまで経っても得られない。
そういうものだったから、です。

この女性は、上のメガネの女性と同一人物です。
「どうせ駄目に決まってる」と、やる前から諦めずに半年。
「食事制限だけ」みたいな姑息な手段を用いず、
バストアップ、ヒップアップ、ウエスト引き締めの筋トレをちゃんとして、
70キロから50キロへのダイエットを達成した姿です。
良心があって、良心に素直になると、人間はここまで変われるのです。
彼女が本当に欲しかったのは、食べ物ではなく、理想の自分。
彼女が本当にやりたかったことは、暴飲暴食ではなく、トレーニングだったのです。
でも、70キロの時の自分は、これをまったく逆だと思っていたのです。
欲しいものは、理想の自分ではなく、食べ物。
やりたかったことは、トレーニングではなく、暴飲暴食。
そのために金が欲しい、みたいな。
本気でそう思っていた。
つまり、「頭がどうかしていた」のです。
脳が「悪」に染まっていたから、「善い」(食べずに脂肪を減らす)ことではなく、「悪い」(食べて脂肪を増やす)ことが「やりたいこと」だと思っていたのです。
ウイルスに感染したパソコンがおかしな挙動をするように、「悪」ウイルスに汚染された脳は、ウイルスがますます広がるように自らしてしまうのです。
自分の脳が「悪」ウイルスに汚染されていることに、自分の力で気がつけた彼女は、本当に幸せ者です。
もし、この姿になることなく、

この姿のまま諦めて一生を終えてしまったとしたら。

たとえ、はした金を得て、日々、ラーメンやスイーツを食べられた一生だったとしても、それは幸せでしょうか。
何と言うか、まるで、運命の人がすぐそばに居たのに、どうでも良い事に夢中で、運命の人に逢うこともないまま、亡くなってしまった人のようです。
途方もなく、もったいないと思いませんか。
ただ、これは、彼女がなりたい自分になったから、わかったことで、70キロの時は、やりたいことは食べること、欲しいものはそのための金、と、お金を出して太ることがしたいと思っていたのです。
思うばかりで何もしない期間が長過ぎ、良心のともしびが消えてしまうと、胸に手をあててみても、何も感じず、やりたいことがやりたくなく、やりたくないことがやりたいことに、見えてしまうのです。

あなたは、半年後、どちらになりたいでしょうか。
何もしないと一生、左。
半年やると、右です。
良心があれば、いま「やりたくない」と思っていることが、実は「やりたい」ことだったと、気がつけるかもしれません。
良心がまだ残っていれば…。
