読めるけど書けない
「挨拶」
「あいさつ」という漢字を読める人はいくらでも居ますが、書ける人は少ない。
外国人からすると、日本人なら全員、漢字を書けるのだろうと思いがちですが、日本人でも漢字を書ける人は、少ないものです。
なぜ書けないか。
それは、書かないから、です。
だから、読めるけど、書けない。
このことをわざわざ難しく言えば、
漢字1つでも、(書く手間を惜しんで)書かないのだから、
いくら良いノウハウを知っても、やるわけが無いのです。

一日一善ではありませんが、人は何かと知りたがるのに、1日にたった1つでもやる人は極めて稀です。
そして、やりもしないのに、次なる何かを知りたがるのです。
これは、学校で言うと、毎日、新しい発見、気づき、感動を得て、学期末テストで、0点をとるようなものです。
この話、知ってる、この話、見たことある、この話、聞いたことある。
そんなのばかりで、漢字のように、書けと言われたら、書けないのです。

そうこうしている内に、書けるものまで書けなくなっていきます。
これは、明らかに、脳力の低下です。
この脳力の低下を放っておいて、頭を良くしようと、何かと知りたがるのは、「読めるけど書けない漢字を増やそうとする」のと一緒です。
漢字ならまだ良いですが、現実には、
「知っているけど出来ないことを増やして、出来ることまで出来なくなっていく」
こういうことをしているのです。
当人は、知らないことを知って頭が良くなった気がしていますが、
それは、学校で言うと、毎日、知らないことを知って、学期末テストで、0点をとるのと一緒です。
でも、社会人には、学期末テストがないから自覚が芽生えないのです。
実際は、頭が良くなるどころか、ますます悪くなっているのです。
「道を知るのと実際に歩くのは違う」

「あいさつ」という漢字を読める人はいくらでも居ますが、書ける人は少ない。
外国人からすると、日本人なら全員、漢字を書けるのだろうと思いがちですが、日本人でも漢字を書ける人は、少ないものです。
なぜ書けないか。
それは、書かないから、です。
だから、読めるけど、書けない。
このことをわざわざ難しく言えば、
漢字1つでも、(書く手間を惜しんで)書かないのだから、
いくら良いノウハウを知っても、やるわけが無いのです。

一日一善ではありませんが、人は何かと知りたがるのに、1日にたった1つでもやる人は極めて稀です。
そして、やりもしないのに、次なる何かを知りたがるのです。
これは、学校で言うと、毎日、新しい発見、気づき、感動を得て、学期末テストで、0点をとるようなものです。
この話、知ってる、この話、見たことある、この話、聞いたことある。
そんなのばかりで、漢字のように、書けと言われたら、書けないのです。

そうこうしている内に、書けるものまで書けなくなっていきます。
これは、明らかに、脳力の低下です。
この脳力の低下を放っておいて、頭を良くしようと、何かと知りたがるのは、「読めるけど書けない漢字を増やそうとする」のと一緒です。
漢字ならまだ良いですが、現実には、
「知っているけど出来ないことを増やして、出来ることまで出来なくなっていく」
こういうことをしているのです。
当人は、知らないことを知って頭が良くなった気がしていますが、
それは、学校で言うと、毎日、知らないことを知って、学期末テストで、0点をとるのと一緒です。
でも、社会人には、学期末テストがないから自覚が芽生えないのです。
実際は、頭が良くなるどころか、ますます悪くなっているのです。
「道を知るのと実際に歩くのは違う」
