未来が明るいのは目をつぶっているから

未来が暗いのは目をつぶっているから。
そして、閉じ込められてもいないのに、閉じこもっている。
まぶたの裏には、妄想、空想。
現実の行動、なし。
これでは、未来が暗く感じるのは当たり前。
その焦りを酒やテレビやゲームで、誤摩化す。
それで一時は元気になっても、現実は何も変わらないから、ますます焦る。
スピリチュアルや占いや宗教は、未来が「暗く感じる」のを「明るく感じる」ように書き換えるのだけれども、暗いメタボを明るいメタボにしたところで、メタボは何も変わらない。
この未来が明るいのは目をつぶっているからなのだ。

何でもかんでも疑うことと、何でもかんでも信じることは、まったく正反対に見えて、実は同じ。
目をつぶっているという点は、変わりがない。
その妄想に、明るさを感じても、暗さを感じても、どちらにせよ現実ではない。
タイタニック号が傾いているのに、船内で明るく楽しんでいたり、飛行機に乗るのに、絶対に落ちると過度に怖がったり、どちらも、現実を見ていない。
目をつぶっているまぶたの裏に、明るい妄想を見ているか、暗い妄想を見ているか、なのだ。
これは明るければ良いという話ではなく、暗いからいけないという話でもない。
ポジティブとかネガティブとか、そういう問題以前に、目をつぶって、現実を見ていないのが問題なのだ。

現実には、暗く感じた方が良い、という場合が山ほどある。
子供が真夜中に出歩くことに対して、暗く感じないというのは問題だ。
明るくポジティブシンキングすれば良いなんてのは、論外だろう。
同じように、体重が増えてきて気分が落ち込んでいるのに、その気分だけとってしまったら、どうだろうか。
おそらく、ぶくぶく太ってしまうだろう。
もうどうでもいいやで諦めちゃって、その結果、気分が明るくなっても、これでは意味が無い。
何の解決もしてないどころか、気分は明るくなったけど、事態は悪化しているのだ。
まるで、仕事をろくにせず、パチンコに行ってしまう人のよう。
タイタニックで言えば、「あれ? この船傾いてない? まぁ、いいや、明るく生きよう」みたいなものでないか。
これでは、未来が明るいのは目をつぶっているから、になってしまう。
そして、その未来は、たとえ明るく感じたとしても、暗いのと同じくらい、ヤバいのだ。
