正しい自己判断が間違っている

もし、ウサギ達の中にいるカメが、正確に自己判断をしたら、劣っているのを落ち込んで、一憂して、失敗だと思い、自分には無理、自分は無価値みたいな結論になってしまうだろう。
もし、そんなカメが自分探しをしたら、何も見つからないだろう。何故なら自分が空っぽで、空っぽの自分の中をいくらみても、やっぱり空っぽだからだ。
もし、こんなカメが日々を過ごしたら、「自分には無理」「自分には出来ない」「自分は駄目だ」という自己暗示によって、現実が本当にそうなっていくだろう。

カメの自己判断の決定的にダメなところは、「自分の判断が正しいと思っている」ところだ。
自分の判断が正しいと思っていて、それを固持して手放さない。
もし、カメの理屈が正しいとすると、学習が成り立たない。
たとえば、カメがバスケ部に入って3日で、1年上の先輩と比べ自己判断したら、劣っているのを落ち込んで、一憂して、失敗だと思い、自分には無理、自分は無価値みたいな結論になってしまう。
あるいは、カメが書道部に入って半年でも、2年上の先輩と比べ自己判断したら、劣っているのを落ち込んで、一憂して、失敗だと思い、自分には無理、自分は無価値みたいな結論になってしまう。
当人は、落ち込んだり、悲劇のヒロインになって、さも自分が可哀想みたいに振る舞いがちなのだけれども、実際は当人が思っているのとまったく逆。
ものすごい傲慢なのだ。
自分の何倍も努力している人と、ろくに練習していない自分を同列に比べられる厚かましさ。
すぐに結果がほしいという強欲ばり。
嫌な練習は避ける我が儘。
たった数日、数週間で出来ると思う自惚れ。
その自惚れが通じない世の中に対する不貞腐れ。
こういう自分の判断が正しいと思っていて、それを固持して手放さないのだ。

カメに必要なことは、立ち止まって判断することでも、自分探しをすることでも、傲慢になり不貞腐れることでもない。
そうやって歩みを止めるから、ますます歩く人の差がついて行き、自己判断が現実になっていくのだ。
自分が不幸にしているのだから、不幸になるのは当たり前。
で、自分の判断はやっぱり正しいと、ますます自説を固持して手放せなくなっていく。
手放せばいいのに、海に沈めるイカリのような重い自説を抱えて、辛い、苦しい、悲しいと沈んで行く。
あとはその日々の無限ループ。
もちろん、そんな自分が、自分探しをしたって、自分が空っぽなのだから何も見つからずに時間だけが過ぎていき、ますます周りとの差がついて行くのは、先に説明した通り。
実は、自分はドジでのろまなダメ人間みたいに思っている人は、歩みを止めない「カメ」ではなく、そういう訳だからと歩みを止めて怠ける傲慢で強欲な「ウサギ」なのである。
