その先の未来へ

いつの世も「先の見えない世の中だ」とか言われます。
記録にあるだけでも、かれこれ2500年前から、ずっとそうです。
そして、本屋では、未来を見失った人たちが、懐古主義に走るように昔の本から、未来への生き方の答えを得ようとしています。
しかし、本と言うのは、過去に書かれたものです。
そこに答えを探すのは、過去に答えを求めるようなものです。
仮に、商売の本があったとしても、それは過去に通用したものです。
ファッションならもっと分かりやすく、過去の本に答えを求めたら、今とマッチしないとんでもない服装になってしまいます。
そして、そうやって上手く行かないのが、今なのです。

ある夫婦、ある恋人同士が、うまくいかなくなると、何とかして過去に戻ろうとします。
出会った頃のように、お互いが仲の良かった頃に帰りたいから、そこに答えを探そうとします。
しかし、それは上手く行きません。
何故かと言えば、売れなくなったホスト、売れなくなったキャバ嬢を見ればわかります。
どんなに売れっ子だった頃を思い出して、その時と同じようなことを、初心に戻ってやっても、駄目なものは、駄目なのです。
それは、あなたがお客だったら、当たり前すぎるほど、当たり前でしょう。
しかし、自分がそうなってしまうと、見えなくなって、過去に答えを探すのです。
そして、過去には、答えがありません。

この人類の「先の見えない世の中だ」病に対して、お釈迦様は言いました。
「目の前にあるものを見なさい」
たとえば、「目の前に美味しい物があった時に、それを食べるとどうなるか、あなたは見えるハズです」、と。

一方、動物には、「先を考える」能力がありません。
だから、動物は、罠にあっさりと引っかかって、捕らえられてしまいます。

しかし、人間は、目の前にあるものをちゃんと見れば、先が見えるのです。
先が見えるから、卓球などのスポーツで相手が玉を打つ前に予測して動けるのです。
この能力がなくて、相手が打ってから動くと、間に合わないのです。
すなわち、先は見えるのだけれども、その能力を使ってない。
あるいは、先は見えるのだけれども、欲望に負けているだけ、なのです。
それを人間は、「先の見えない世の中だ」と責任回避します。
何故なら、そうすると「自分のせいではない」ということに出来て、マスメディア、スピリチュアル、宗教、美容、健康食品が、儲かるから、です。
「ダイエットできないのは、あなたのせいではありません」
とか何とか言うと、何百億も、儲かるのです。
他にも、飲むコラーゲンなど、科学的に無意味なことが証明されているのに、日本ではバカ売れです。何億、何百億というお金がそれで動いているのです。
1人を殺せば殺人だが、多くを騙せば英雄になれる、という現代版の良い例です。
あるいは、
「君は悪くない、君のせいではないよ」
とか何とか言えば、ミュージシャンや、ホスト、スピリチュアルなどとして、大成功できるでしょう。
だがしかし、そういう人は、その先の責任はとれないし、とらないのです。

ニュースなどを見ても、「ちょっと考えればわかるだろう」というものばかりです。
これは何を意味するかと言えば、その「ちょっと考える」が、出来なくなっている、ということです。
現実問題として、ニュースに顔をしかめる人も、「糖尿病」になってたりするのです。
こういう生活をしていると「糖尿病」になるなんて全然知らなかった、訳ではないのです。
すなわち、みんな見ようと思えば、見えるのです。
見えないんじゃなくて、見えているのだけれども、目をそらして、見ないようにしているのです。
そして、そういう人にとっては、「先の見えない世の中が悪い」ということにしてくれた方が、嬉しいのです。

大人達が、あまりにも「先の見えない世の中」のせいにするので、若者達はそれを鵜呑みにして、身動きがとれなくなっているのが、現代です。
でも、実際は、先が見えないんじゃなくて、見えているのだけれども、見ないようにしているだけなのですから、「先は見えている世の中」なのです。
ただ、その先が暗いから、見えないことにしている。暗いのは見えているのです。
だけど、大人は、このままじゃヤバいのは知っているけれども、動きたくない。
動きたくないから、あとは絶望するしかない、みたいになっているのです。
この前も若者の就職相談に乗ったのですが、その「呪縛」を解いて、「ネット」を見て、企業に応募して、面接したら、あっさり「正社員」になりました。
その直前まで、「自分は一生、このままバイトなのではないか」と震えて泣いていた若者の未来が変わったのです。
しかし、ネットカフェに寝泊まりしているような日雇いの若者は、ネットが目の前にあるのに、就職サイトをまったく見ないのです。
その代わり、自分と、まったく全然関係ないサイトをやたら熱心に見ています。
これは、まったく他人事じゃないので、自分ごとだと思って聞いてください。
「あなたも、この文章をパソコンやスマホで読んでいるのに、『自分のやりたいと言っていること』を検索してなくないですか?」

ここで99%当たる予言をしましょう。
「あなたも、自分のやることを検索せずに居るのでは?」
千載一遇のチャンスとして、こういう風に尋ねられても、ほとんどの人は、目をそらしてしまうのです。
自分にとって良いことなのに、目をそらしてしまうです。
これは何を意味するかと言えば、「ちょっと考える」が、出来なくなっている、ということです。
そして、その方が、マスメディア、スピリチュアル、宗教、美容、健康食品、ミュージシャンや、ホスト、スピリチュアル、グルメ、スイーツ、パチンコ、スロット、ゲーム、スマホ会社などが、儲かるから、テレビ、雑誌、CM、ネット広告などで、それらは一生懸命に「ちょっと考える」をさせなくさせるのです。
その洗礼を大量に受けた人の「自分のやること」「自分のやりたいこと」は、そういう人たちを儲けさせること、それに集約されて、他が見えなくなってしまうのです。
これは、働いたお金で、体重を増やして、その増えた体重を、働いたお金で、減らす、あるいは病気の治療費として出す、でも、それを喜んでやりたい、みたいなものです。

ホームレスに虫歯が多いのは有名な話ですが、それはホームレスになったから虫歯が増えたのではなく、小さな虫歯を放っておくような人だから、ホームレスになってしまうのです。
先は見えているし、虫歯に使えるお金があっても、見ないことにして、お金を他のことに使ってしまうのです。
それって病気じゃないかと言われれば、その通り。
ですが、虫歯をメタボに置き換えるだけで、それは、そっくりそのまま、大勢に当てはまってしまうのです。
先は見えているし、メタボ回避に使えるお金があっても、見ないことにして、お金を他のことに使ってしまうのです。
これは、ネットカフェに寝泊まりしているのに、就職サイトをまったく見ない大人と、「必要なことをしていない」という点で、本質的には同じこと。
自分にとって良いことは、目をそらす、見もしない。
自分にとって悪いことは、目を見張って、止められてもしてしまうのです。
