「決断」とは「これまでの自分」を断つこと | プラクティス

「決断」とは「これまでの自分」を断つこと

日本人は、よく「決断」が出来ない、「決断力」がないとか言われます。

それはまさにその通りで、何故なら、「決断」とは「これまでの自分」を断つことだからです。

「これまでの自分」を断つなんて、長く生きてきた人ほど嫌でしょう。

10代の子が、「これまでの自分」を断つ難易度と、30代の大人が「これまでの自分」を断つ難易度は、天と地の差ほどあります。

いわんや、それ以上の年齢なら、なおさら困難です。

で、日本は、それ以上どころか、倍くらいの年齢の人がわんさか居る国で、それは増加の一途をたどっています。

ですから、「決断」なんて、出来なくて当たり前なのです。


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「決断」とは「これまでの自分」を断つことです。

ですから、これまでの自分が維持されるのなら、どんなに悩んでも「決断」ではありません。

「パフェとケーキのどちらが良いか、苦渋の決断をした」

上記は、日本語としては正しいのですが、用法が間違っています。

「決断」とは、パフェかケーキかどちらかを断つとか、そういうレベルの話では無く、パフェもケーキも断って、運動するのが、「決断」となります。

なぜなら、「決断」とは「これまでの自分」を断つことだからです。


現在、日本では、「決断しない」が、インフルエンザのように猛威をふるっています。


とは言え、これは自然発生的なもので、高齢化社会で、大人が高齢化しているのですから、当たり前のことです。

ただ、1つ、大切なことは、「決断してないこと」を自覚することです。

なぜ自覚することが大切なのかと言えば、悩みでも、苦しみでも、辛いでも、寂しいでも、様々なことは、自分が「決断してないこと」に起因しているから、です。


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「夢」とは何でしょうか。

「夢」とは「これまでの自分」を断つことです。

「これまでの自分」を断つことでなければ、寝て見る夢です。

そう、「夢」とは「決断」なのです。

しかし、いつまで経っても決断しない寝て見る夢を見て、決断しているつもりな人は、いくらでも居ます。



上記の、のび太くんの「夢」が叶う時は、いつでしょうか。

現実には無い可能性の方が大ですが、もしあるとすれば、「これまでの自分」を断った時です。



そう、「決断」とは「夢」なのです。

ですから、「これまでの自分」を断つ「決断」を抜きに「夢」はありません。


しかし、現実には、「これまでの自分」を断ってないのに、「夢」とか「決断」とか大げさな言葉を使って、寝て見る夢を見ている人が後を絶えません。


それは何故かと言えば、「これまでの自分が好き」だからです。

また「これまでの自分が嫌いと言っている自分が好き」という風邪をこじらしてしまった人もいくらでもいます。


だから、いつまでたっても「決断」が出来ない。

「これまでの自分」を断てないから、夢が叶わない。

そして、そういう風にしているのは、親でも、会社でも、政治や景気でもなく、自分自身なのです。




「これまでの自分」を断てば、誰でもこうなれます。




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